暗い星のない夜にひとりで道を歩くと何かを見失いそうになることがある、と言ったところ、「えっ陣平ちゃん、なんかポエミーなこと言ってる?」と茶化されたので松田は眉間に皺を寄せた。
「お前人のことなんだと思ってんだよ、いつも」
「えー、だってお前迷いなく真っ直ぐいつも進むじゃん。脇目もふらないで、真っ直ぐに。立ち止まって悩むこともねぇし」
「だからそうじゃねぇって言ったんだよ」
「そうなんだー。意外だな」
お前こそ、と松田は思った。
(お前こそいつも光がわかって歩ける癖に)
萩原は勘が良い。正しいか正しくないかという判断のうち、正しい方を選べる。それは善悪の問題ではなく、正義という意味でもないが、何となく、光当たる方に進めるだろうという意味だ。そういう人間だと思っている。ちゃんと陽だまりを探すことのできる男だと。それが傍にいる人間に安心感を与える。落ち着かせる。隣にいたいと思わせる。そういう嗅覚であり人柄だ。
「まぁたしかにそうかも。例えば今自分がやってることが合ってるのか、間違ってんのかって、よくわかんねぇこともあるし。道を歩くってのはさ、やっぱ、一人きりじゃなくて、隣にいる人を見ながらたしかめながらするもんなのかもな」
「お前もポエム読んでんじゃねぇか」
「ハハッ、たしかに」
その日曇天で空に星は輝かず、前を歩く道しるべはポツポツと点在する街路灯だけだ。月も見えない。それでも暗くはないと思った。萩原の言うとおり、行く道を歩く時にその人が横にいてくれれば、その道は決して真っ暗などではない。
「あ、陣平ちゃんあそこに自販機あんぜ。コーヒーでも飲みながら帰ろ」
「そうだな」
*
(暗いな)
日中は雨が降り出しそうな天候で、夜までも曇りがちな天気が続いていた。幸い、夜道を黒い雲が覆ってはいないが、ちらほらとした星の灯りだけでは頼りない。元より都会の夜にさほどの星は光らず、星月夜には程遠いはずだ。
月が歩く道から見えないのが新月だからなのか、隠れているのか位置取りの問題なのかもよくわからない。気象のことなどは昔から少しも詳しくない。
(そうだ)
こんな星のない夜に、昔、萩原と会話をした。昔、修学旅行の旅先で、光を消すと完全に光の入らない完全な暗闇の世界というものを体験したことがあって、萩原はその時に、驚いてなのか、無意識になのか、松田の肩に手を乗せていた。腕を乗せることも少なくはないのでその当時は松田もいつもの仕草だと気にしなかった。慣れるまで、慣れてもよくは見えない暗闇というものは誰の目にも恐ろしいものだったので、そちらに気を取られていた。
その手はちゃんと松田を探していたのではないかと、その時ふと思ったのだ。松田はそれについて直接的にそう問い掛けたわけではないが、暗いのが怖いのかと彼に聞くと、そりゃまるきり怖くないヤツもいないだろ、と萩原は答えた。
『陣平ちゃんみたいに、こんな真っ暗な空でも平然と歩けるヤツのが稀なんだよ』
と、言った。
その言葉に他意はなく、特別な意味もなかっただろう。ただ完全なる暗闇でなくとも、星なき夜を平然と歩けるほど松田も恐れ知らずなわけでもない。そういう話をした。多分萩原はその時に同じ感情を共有してくれたのだ、と思う。1人きりでなくば、それは怖くなくなるのだという、当たり前なことを。そういう当たり前の認識を共有して人は相手への親愛の情を育てていくものなのだろう。
ここには月もなく、星もなく、光もなく、陽だまりは存在しない。
真っ暗な道を歩くために必要なものはほんの小さな理由だけだ。約束したのだから、彼と、ちゃんと。
その言葉は松田を孤独から解放してくれるひとつの重要な意味付けだった。
約束したのだから。