
幼馴染の萩原はよくモテるが松田はどうにもそういう話題から縁遠い。別に、彼のように、様々な女をとっかえひっかえしたいわけではない(萩原曰くとっかえひっかえしてるのではなく、付き合ったり別れたりを相手に任せているだけなのだそうである)が、世間一般で言うところの華やかな、リア充向け行事のクリスマスやら、バレンタインやら、そういうものを見てもおもしろいような気になれないので、この時期は楽しくない。スーパーでもコンビニでもバレンタイン、チョコレートの文字だけがひたすらに踊っている。貰えるあてもないのにそんなイベントが楽しいわけもない。
毎年この時期、くだんの萩原は、大モテだった。彼がこの頃には女を作っていない理由はチョコレート欲しさなんじゃないかと松田も邪推したことがあるのだが、どうやらそういう意図はないようで、全く普通に、義理チョコだけでも両手いっぱい箱いっぱいに貰うものだから、ちょっと処分に困っているらしい。しかも、ホワイトデーにはお返ししないと、と律義に覚えているので、そりゃ大変だろうなと思う。
松田はやっぱり義理のチョコでも縁がない。職場は男所帯みたいなものだし、別の部署の女と親しくなったこともない。
「陣平ちゃんチョコやるよ」
ほら、とその日の夜に萩原の部屋に格別の理由はなく酒でも飲むかと松田が行ったところ、彼はつまみの代わりにダイニングテーブルの水色の箱を指差した。
「お前今日何も貰ってねぇんだろ?」
「うっせぇな」
「だから、特別にやるよ、そこのなめらかショコラプリン」
チョコそのものじゃねぇけどいいだろ、と萩原は笑った。あまりにもチョコに縁がなかったので、何だコイツ俺に気でもあんのか、と松田は思った。
「実家行ったらさぁ、母ちゃんと姉ちゃんからもチョコ貰って食って」
「家帰ったのか? 何しに?」
「あぁ、チョコ置きにだよ。貰い過ぎて寮に置いとくと悪くしそうだし」
「ただの嫌みか」
「僻まねぇでプリン食ってな」
そう言われて松田は箱を開いた。チョコレートらしい深いブラウンの色のプリンが中には4つ入っている。
「全部食っていいのか?」
「そんな食うの? 陣平ちゃん、甘いのそこまで好きじゃねぇじゃん」
萩原曰く、家から帰る駅のビルでそのプリン屋を見かけて、そしてこの日にあまりにも賑わっていないのを見て(元々チョコを売る店ではないので仕方がない)物淋しく感じたので買ったということだ。陣平ちゃんにでもやるかな、と思ったと。
「どうせ貰ってねぇだろうし?」
「だからうっせぇ」
「アハハ。じゃあ、4個全部やるから心して食えよ、バレンタインチョコ」
まぁ1個くらいならやってもいいか、と思いつつ、台所からスプーンだけ持ってきて、ダイニングチェアーに座ってプリンの蓋を開けた。チョコの匂いがする、というほど強い芳香はないが、何となく、チョコレートのボックスを開く人の抱く感慨に似たものが松田にも感じられたような気がした。
「どう?」
萩原は前に座るとプリンを見て尋ねた。
「悪くねぇな」
「そりゃよかったよ。美味いよな、パステルのなめらかプリン」
重くなく軽い口当たりでぺろりと1個食べ上げると、マジで全部食う気? と萩原は笑った。
「全部食っちまう前にひと口くれよ」
「ひと口だけならな」
「俺が買ったのに」
ほら、とスプーンで掬ってやると、萩原は口を開いてそれを食べた。
「うん、美味いな」
何となくそれらはかなり睦まじい営みである、ように感じられた。特別変わったことをしているというわけではないはずなのに。
(いやでもバレンタインにチョコを貰うってのはそもそも別格だろ)
本気で自分に気がある行動だとまでは松田も思っていないが、ただ彼にとって、ふと思い当たって買ってきてやろうと思ってくれるような特定の相手なんて、きっと多くはない。多分自分にだけだ。もしかするとバレンタインに彼がチョコをあげた人なんて、常に圧倒的に貰う側のバレンタイン強者である萩原にとっては、松田くらいかも知れないのだ。
萩原は昔っから女好きだし、かつ人好きもするが、友人、いや親友として松田の傍にいることを選んでくれている。そのことに松田は優越感を持っている。そうらしいと気づいたのはむしろ最近のことであるが。
「チョコ全部置いてきちまったのは失敗だったなー。少し残しときゃよかった。やっぱ今日はチョコ食いたいや。選別するのもややこしいと思ってさ、箱ごと置いてきちったんだよな」
そう言う彼の後ろのサイドボードに黄緑色の見慣れない袋があったので、アレは? と松田は尋ねた。
「それも貰ったヤツじゃねぇのかよ」
「あぁ、それか。うん、ま、そりゃあ俺への“本命チョコ”ってヤツかな」
にこりと萩原は笑ったので、松田はムッとした。
「でもそれは取っとくヤツだから、開けないどこうと思って」
(取っとく?)
ますますムカッとした。何となく。
「何だよ。そのチョコ寄越した女と付き合うってのか?」
「それは、まぁわかんねぇけど?」
フフッと萩原は余裕綽々のようすで笑う。ますます松田は苛立った。
「ともかくそれ陣平ちゃんも食うなよ?」
あ、電話だ、と萩原はスマホを手に席を立った。
(食うなってのはフリか?)
フン、と松田は席を立って、その黄緑色の紙袋の中を見た。中にはファンシーなピンク色の箱が入っていて、真ん中には金色のロゴが描かれている。
(エル・エー・ディー・ユー・アール・イー・イー……何だこれ、フランス語か? アクサンテギュ付いてっし……てなると、ラ・デュ・レ?)
プリン屋にもさほど詳しくない松田には、いくつもある菓子屋の名前も当然よくは知らない。フランス語は第二外国語で萩原と一緒に講義を取ったが、単語の読み方くらいしか覚えてはいなかった。ただ、たしかにその箱や紙袋には、彼の言う“本命チョコ”らしき高級感はある。
脇のシールをベリッと剥がして松田は箱を開いた。中身はカラフルなマカロンだ。
「チョコじゃねぇじゃねぇか」
こんな物が萩原にとって特別だって?
ひとつ掴んで口に放り込むと、甘い味がした。これが恋の味なのだろうか。それをひとつ丸ごと食べてしまって、松田は何故かスッキリとした。
「あ! 陣平ちゃん! 食うなっつったろ!」
戻ってきた萩原は、あーあ、と残念そうに言った。
「せっかくそのまま母ちゃんと姉ちゃんにやろうと思ってたのに」
「……はぁ? 貰ったもんじゃねぇのかよ」
「まぁ、貰ったのだけどな。チョコ持って帰ったら母ちゃんがテレビで見たって『ラデュレのマカロンないの?』ってすげぇ食い気味で聞いてきたんだけど、俺が貰ったのにはなくてさ。マカロン食いたかったとかって姉ちゃんと2人で、俺が貰ったのにそっちのけで言ってたから今度手土産にしてやろうかなって思ってたところで、帰りにたまたま会った子がくれたのがこれで。なんか、すっげぇ偶然だろ? んじゃ、これも今度持って帰ってやっかなって思ってたんだよ。陣平ちゃんに食われちまわなきゃな」
萩原は松田に一度顔を近付けて、それから両手を頭の後ろで組んで、あーあ、ともう一度言った。
「……悪かったよ」
「まぁいいけど。つーかお前は人の貰ったモン勝手に開けんな」
「オウ」
「ちゃんとわかってっか?」
(つか、んな経緯知ってたら俺だって別に開けてねぇし)
何だそれは、と思う。でもそんな特別でも何でもない実家に持ち帰るだけのマカロンをめちゃめちゃにする理由なんてない。そう考えて、あぁ全部滅茶苦茶にしてやりたかったんだな、と思った。
「しゃあねぇ、俺が新しく買い直すからよ」
「お、陣平ちゃんにしちゃあ殊勝な心掛けじゃん。でも母ちゃんたちにやるだけだから、こういうのじゃなくて、いっちゃん安いのでいいぜ。んならこっちのマカロンは食っちまうか。味どうだった?」
「甘ぇ」
「ハハ、だろうな」
もう1個食っていいよ、と言われたので別の味を口に運ぶ。甘い。そして、苦みのような何かを感じた。その理由は、さっきと違うフレーバーだからではなくて。
「美味いな、コレ。みんなが騒ぐわけだ」
「萩、さっきのプリン、お前も1個食っていいぜ」
「えー俺がやったのに陣平ちゃんってホントいつも上から目線だよな……」
甘くて苦い感情がそこにはあるからだ。3個目のプリンも完食して、松田はそう実感した。
*
そうして松田は、親友に恋心を抱いていると気付くに至ったのである。その感情を認めるに至るまでには更に紆余曲折諸々があり、正気かよと自分を疑ったりもしたし、いまだにその感情がこの手の中にあるのだという実感が持てないままだ。その胡乱なまま、いつだってにこにこと松田の傍に寄り添ってくれる彼と過ごしていた。自分の感情がどこかに迂闊にも漏れ出してしまうようなことのないように気を付けながら。そもそも彼に対する独占欲に似た感情は昔からあったので、よっぽどのことがなければ松田が彼に関連して嫉妬心を見せようが、誰も気に留めなかった。それでいいのか、という問題はあるが。
そんな恋の相手である萩原から電話が掛かってきたのは3月14日のことだった。その日萩原は朝から忙しそうに出掛けていた。ホワイトデーのお返しをあちこちで配るためということだ。全員に返せるものかと松田が言ったところ、まぁ予定合う子だけでも、とのこと。結局、あの“本命チョコ”の子とは別に付き合うことにはならなかったらしい。まだフリーだ。今日も全員に同じ菓子を買っていたので本命はないようである。
『陣平ちゃん今日暇? 暇だったら映画見ようぜ、駅前に待ち合わせな』
そんな日に、萩原から連絡が入ったのは昼のことだ。推測するに、誰かの予定が反故になって暇になったから、最近映画見てないな、とか、見たい映画あったな、とか、そういうことを考えて松田に連絡をしたのだろう。待ち合わせの時間は午後3時で時刻はまだ正午を過ぎたばかり。少し早いが、何となく気が急いて――何せ好きな人との珍しいデートの約束になるので――、松田は財布とスマホを引っ掴んで寮の部屋を出た。
歩いてもまだ桜は咲いていないが、日差しはポカポカと温かい。松田も、今日がホワイトデーだということを全く意識していないわけではないが、あの出来事を、ショコラプリンを、『萩原からバレンタインにチョコを貰った』と完全に評していいものかは疑問が残る。あのマカロンは松田が買い直して萩原を経由して彼の母の手に渡ったそうだ。そういうただの1日を、何でもないことを大仰に捉えたとなると萩原も変に思うだろう。だからホワイトデーのお返しなんて、小さな箱を一応買って部屋に置いてあるだけだ。
それでも暖かいし気分は浮かれた。デートが珍しいと言うか、彼と外出すること自体は珍しいことでも何でもないが、メシを食うとか、コンビニに行くとか、ほとんどがそういう程度でしかない。連れ立って出ることが多いので待ち合わせも珍しいし、映画には、萩原に彼女がいない時か、何らかの見たい映画がどちらかにあるというタイミングで行くだけだ。松田は積極的に映画を見たいと思うことは少ないので、要するに、萩原に見たい映画があって彼女がいない時に行くのみである。
(何見たかったんだ、アイツ)
付近の映画館の上映情報を電車で見ながら、その行為はやはり浮かれているんじゃないかと思い、松田は顔を上げてみる。車内には手を繋いで乗るカップルもいたので、ハァまたリア充かよ、と松田はため息を吐いた。彼らに全く罪はないが。いや今は自分だってデートに向かっている最中だ。ヤツらはそれを知らないにしても。
しかしふと、こじゃれた格好の男女を見ながら、いつもと何にも変わらない、何の変哲もない自分の私服がガラスに反射して目に留まった。映画館にドレスコードはないが、デートには、ドレスコードがなくはないのではなかろうか。萩原はいつもオシャレにして出かけるので、香水なんかも振りかけていくので、外でばったり会っても全く恥ずかしくない。松田も、ジャージのまま歩いている、というほどのことはたしかにないけれども。萩原は『陣平ちゃんはいつも男前だもんな』とも言う。いや、だが、その言葉にずっと胡坐をかいているのではいつか愛想つかされたりするんじゃないだろうか。ギリギリ常識は保てていると思うが、マナーという面では怪しい。
そこで、カップルを睨んでいる(実際に睨んだのではなく心の中でという意味である)場合じゃねぇなと松田は駅に降り立つと、駅ビルの適当な店に、マネキンの装いをある程度確認しつつ入った。
「これから出掛けるから一式欲しいんだがアンタに頼んでいいか」
と、言うと、気前の良い客に店員は喜んであれこれと選んでくれた。服、靴、鞄、アクセサリーと整えてくれたその店員は「お客さんイケメンなんで何でも似合いますね」と、いつもの萩原のようなことを適当に言って松田を煽てた。聞き慣れていたのであまりそういう言葉に松田が惑わされることはなく、不要だと思ったものは却下して、シャツにズボン、ジャケットにシューズ、鞄と、いらないかも知れないとは思ったが首にシルバーアクセサリーも合わせて買った。
珍しく格好に金を掛けたな、と全身鏡で上から下まで見ながら松田は物思う。
(何か知らんがアイツはイケメンと歩いてると気分いいみたいなこと言うし。ま、こんなんなら隣歩いてて気分いいだろ)
自分の顔だのスタイルだのについて松田はじっくりと考えたことはないが、少なくともそこいらの人間に不評ではないんだなということくらいはよくよく知っている。
来るときに着用していた物は全て袋に詰めてもらった。邪魔なので駅のコインロッカーに詰め込んで、スマホを確認すると、もう2時を過ぎている。萩原に限って時間よりも早く来ることなどはありえないが(萩原は何故かいつもどこかで知らない親切をして待ち合わせに遅れてくる)、気持ちとして、松田は早めに着いておきたい。そして、「ごめん陣平ちゃん、待った?」「おせーだろ、萩」というよくあるやりとりをする予定なのである。そのやりとりに意味はないが、デートらしさはそこにある。
近くの家電量販店を軽く見てから待ち合わせの駅前の時計の下でスマホを見ていると、何か勘違いしたのか幾ばくか声を掛けられた。これは萩原が隣にいても同じなので、興味ねぇの一言で遠ざける。
「おーい、陣平ちゃん」
そして、午後3時10分を過ぎたところで待ち合わせの男はやってきた。
「ワリー、待った?」
「待ったに決まってんだろ、毎度遅刻しやがって」
「ワリーワリー、コーヒー買ってこうと思ったら、スタバが混んでて。そしたら転んでコーヒーこぼしちゃった子がいてね、交換に付き合ってたら時間過ぎちまったよ」
そして、手にスタバのコーヒーカップを持っていた萩原は、少し前に立ち止まって、松田のことをまじと見た。
「どうかしたか?」
「……いや。別に。何かいつもと違うなと思って」
カッコいいじゃん、と萩原は言ったが、すぐにその視線はふいと逸らされた。
「それじゃ早く映画行こうぜ」
「お、オウ」
それは、松田の思い描いていたような反応ではなかった。
*
映画を見終えて、夕食には少し早い時間だが、このままメシ食ってこうよ、と萩原に言われてデニーズに立ち寄った。店内はまだアイドルタイムが抜け切っていないのか、あまり賑わってはいない。すぐに席に通されて、萩原はハンバーグドリア、松田はチキンジャンバラヤを選んだ。
「やっぱいいよなぁ、パイロット。警察だとヘリで飛ぶくらいしかねぇけど」
「お前ああいうの好きだよな」
「オウ、好きだぜ。ヒコーキ飛ばすなんてロマンじゃん。ま、ヘリもいいけど」
さすがにビールはまだ早いか、と頼んだドリンクバーのアイスコーヒーの氷がカランと揺れる。
考え込むのはまるで性に合ってないなと松田は単刀直入に聞くことに決めた。
「なぁ、俺は何か変なナリしてるか?」
「え? 何?」
じっと瞳を見つめて言うと、萩原は何度かまばたきをして、軽く笑った。
「うんにゃ、別に」
「じゃあ、何だよ」
「何って言われても何もねぇけど」
萩原の反応は、想定されうる反応のどれでもなかった。似合ってると褒めてくれたのでもないし、似合っていなくて苦笑いされたというわけでもない。萩原はそういうことについて嘘は言わない。あぁ今日はいつもと違うんだな、そういうのもいいじゃん、と言ってくれるものだと期待していたのだ。その期待を裏切られたことに対して松田は殊更にショックを受けるということはないが、その態度に違和感はあった。10年来の親友だからわかる。それは、その微妙さは、萩原にしては非常に妙な反応だった。
「何かさ」
「何だよ」
「好きなコでもできた?」
そう言われて、何か自分の想いがバレたのかと一瞬ドキリとしたが、その発言は全く的を射たものでないということも松田にはすぐわかる。それで、こちらはすぐに返答しかねていると、萩原はぐるりとアイスコーヒーのストローを掻き回した。
「そういうの、言いたくなきゃ別に言ってくれとは言わねぇけどさ。お前あんまそういうこと話すの好きじゃねぇみたいだし? でも、カッコ付けたいってんなら、俺がいくらでも付き合ってやったのにな、って思ってさ。俺は別にどうしても映画がよかったわけじゃねぇよ。どっか買い物行くのだって全然よかったじゃん」
「いや……、別に、これはな」
今この瞬間に、ファミレスの注文したメニューを待つこの席で、目の前の男と出掛けるのに浮かれて一式揃えて買っただけだとはさしもの松田にも言えない。
だが逆の立場になって考えてみれば、萩原がそうは思わないのも当然だ。突然目の前の男が自分に気があって身なりを整えてきただなんて、一体全体誰がそんなことを考えると言うのだろうか。多分、気になる子がいるから外出する時には服に気を使おうと思ったんだろうな、とか、そろそろ彼女でも作りたいから街で声掛けられるような服装にしようと思ったのかな、とか、この後バレンタインのお返しでも渡すのかも、とか、そう考えるだけだ。
「水臭いじゃん……陣平ちゃん」
不可抗力だ。如何に傍若無人だとか何だとか言われる松田だって、今からデートに行く相手に自分のデートコーデなんて頼めるはずがない。好きな相手にカッコイイ服を着てカッコ付けたいのにそれではまるで格好が付かない。
でも萩原がそう言うのは、ちゃんと俺に声掛けてくれよと言うのは、軽い嫉妬心を含んでいるのだ。俺の方がもっとお前のことカッコよくできたのに。俺じゃ不満だったのか? と。
(……ンな可愛いこと言うなよ……)
今ここですぐに両手を握って「お前の為に決まってんだろ、バカだな、萩」などと言っていたら、ジャンバラヤを運んできたウェイトレスの顔が凍り付くかも知れない。それは別に構わないが、こんな普遍的な場所にある空気を滅茶苦茶にしても一向に松田は構わないのだが、しかしできるなら部屋で壁ドンでもしながらそういうことは言いたい。もう少し近い距離で見つめ合って。というかファミレスのこの年季の入ったテーブルがかなり邪魔くさいので、これは一旦仕切り直しが必要だなと思った。
「悪かったよ。お前を除け者にしたってわけじゃねぇ」
「……ん」
「次からはちゃんとお前を呼ぶからな、萩」
松田がきちんと目を見てそう言うと、うん、と萩原は可愛らしく笑って頷いた。こう言えば萩原は納得するし、ちゃんと喜ぶ。松田はそれを理解している。
結局そのやりとりを目撃したウェイトレスは皿を手に固まっていたらしいが、それは松田の知るところではない。とりあえずこんなぐだぐだな状態を引き延ばしてもいいことはひとつもないなと松田は思った。アイツに彼女作られる前に早く告ろう。いや、今この嫉妬心が燻っている状態を逃さず帰ったらすぐ告ろう。
アクセルしかない松田はそう思った。
***
(弱ったな)
変なやりとりをしてしまったな、ということは、萩原も部屋に帰る前から感じていた。元々男前な顔の親友が、てっぺんから爪先まで整った格好をしているのを見て、いつ見ても格好いいな、と思ったし、でもどうして急に? そういうのするなら何で俺に声掛けてくれなかったんだ? と、ふとその時一瞬考えてしまったのだ。それが嫉妬心であったということは自分でも重々理解している。
ただそれだけではなくて、その奥に、気付かない方がいいような、ふれない方がいいような、表現しない方が良さそうな感情がありそうだということに思い当たってしまった。彼と一生親友として仲良く笑い合っていくためには、それにはふれない方がいい。
だから今日は帰って大人しくして、週末には合コンでもして新しい彼女を作ろうと思った。
「それじゃあな、陣平ちゃん。映画付き合ってくれてサンキュー」
「待てよ、萩」
「えっ……何?」
「まだ今日は飲んでねぇだろ。部屋寄ってけよ」
「あー……んじゃ、部屋戻ってつまみでも持って行くよ」
「わかった」
と、そういうときに限って松田は引き留めるのである。タイミングが悪いと言うか何と言うか。
(いやでも今日明日でどうにかなるって話でもねぇしな、うん)
酒を飲めば気分は高揚するので好きだが、それで潰れて前後不覚に陥るようなこともこれまでになかった。無難にビールを飲んで、柿ピーでも食べて、明日も仕事だしソツなく帰ればいいというだけの話だ。萩原は最近買った燻製が香るとか何とかパッケージに書いてある柿の種を持って松田の部屋に向かった。
「お待たせ、陣平ちゃん。ビールまだ結構あったっけ? 俺の部屋のも持ってきた方がよかった?」
まぁ座れよと言われて、萩原は絨毯の上に腰を下ろした。ジャケットを脱いでいた松田は、ローテーブルにビールの缶を持ってきてくれるわけでもなく、「その前にコレやるよ」と言った。
「え? 何?」
「決まってんだろ、今日はホワイトデーだ。お返しってことだよ」
「え! 覚えてたんだ、お前、そういうの!」
「忘れるか! あっちでもこっちでもその文字ばっか見んだろ」
「そりゃそうか。てかラデュレじゃん」
「オウ。美味いっつってただろ」
うん、それは、と萩原は頷いた。
「こないだマカロン買いに行った時に、ホワイトデーになら日持ちしねぇからっつわれて。そん時ゃ別にそういうアレじゃねぇから買ってったけど、お返しに人気あるとか何とか言ってたからよ」
「それで選んでくれたんだ。悪ぃな、陣平ちゃん」
何だかこれは嬉しいな、と萩原は思った。チョコプリンを買ったのに他意はない。可愛い店員さんたちがぽつんと立っているのを見て、土産にでも買ってってやるかと思った。その時に、多分アイツチョコとか貰ってないかもなぁと思ってプリンをチョコ味にしただけだ。
2つ入りのマカロンの箱を開けて萩原はにこにこした。マカロンはたしかに美味しかったのだから。しかし、それと同時に、もしかしてこれは他に誰かにあげるついでに買ったのかも、とふと思った。そう思って、ふるりと首を横に振る。仮にそうだからと言って、価値が変わるものではないはずだ。
「んで、さっきのことだけどよ」
「え? さっき?」
萩原が何も思い当たらず首を傾げると、服のことだ、と松田は言った。
「えっ……もう別にいいじゃねぇか、そんな話」
あまり蒸し返されたくない話だ。先ほども思ったとおり、萩原にとっては、深堀りしてもいいことには繋がらないだろう話題なのである。できれば避けたい。松田はそういう萩原の心情をまるで知ることなく、横に座ると「レシートだ」と洋服屋のレシートを手渡した。何のこっちゃと萩原はそれを受け取って眺めた。
「5万6千……わ、結構な金額買ってんじゃん」
(ネックレスまで買ってる)
いつもと違うと大きく感じた正体は胸元のシルバーアクセサリーにあるな、と萩原は思う。何だか、ますますもっておもしろくないな、という感情が芽生えそうになって、また、ふるふると首を振った。
「えっと、それで?」
「だから。俺だって、好きなヤツにカッコ付けてぇってことくらいあんだよ」
「まぁ、そうなんだろうな」
何せ5万6千円である。普段ユニクロで十分と言っている松田がそれだけの金額を使うのだから、それだけ意味があることなのだろう。
(そりゃ結構なことだ)
「だから、わかんだろ」
「何が? お前にめちゃくちゃ好きなコがいるってこと?」
「コイツは今日買ったんだよ」
「たしかに、日付3月14日ってなってんな」
「お前、新しい服買って、それ着てく時ってのはどういう時だよ」
「えぇ……? 別に、特にそういうことは考えてねぇけど」
洋服を買うのは好きだし、たしかに雨が降ってる時に真新しいものは選ばないが、そうでなければいつでも普通に着る。いやでもこの場合の正解はわかるはずだな、と萩原は発言を撤回した。
「好きなコと会う時。デートする時ってことだな」
「そういうことだよ」
「あぁ、何だ、お前、午前中デートだったんだ? そりゃ知らなかったよ。それであんな気合入ってたのか」
「あのな。午前中のデートの服を午後に買うヤツがいるか?」
そう言われて手元を見ると、レジの時間は今日の13時45分と印字されていた。萩原はぱちりとまばたきをする。
「じゃ、これからデート?」
そんなら酒飲んでる場合じゃねぇじゃん、と立ち上がろうとすると「待て」と腕を掴まれた。
「デート前に景気付けったって、酒飲んでいいことあるはずねぇだろ」
そんなのに付き合わすなよ、と思う。
(何だ、チョコ貰ってたんだ)
彼の性格上、そういうことがあるなら自慢げに言うものだと思っていたので気付かなかった。じゃあその子にはこれから、何をお返しにあげるんだろう。マカロンの大きいボックス?
その時自分を引き留めた腕に横を向かされて、顔を見られた、と思った。ズキリと痛んだ胸の内ごと見つけ出されてしまいそうな気がしたのだ。
それと同時に奇妙な違和感を覚える。いつまで経ってもビールは出てきそうにないこと。
(いや……、そうじゃなくて、ビールはそもそも口実だった?)
自分を、引き留めるための。
でも何で?
萩原に生じたその疑問に答えが与えられる前に、腕を掴んで引き寄せられた。生温い唇がふれあう。驚くような暇もなく床に倒されると、そのまま覆い被さられた。
「だから、服はお前とデートするからだったっつってんだよ」
「え、えっ? え、な、何でそんな、急に……」
「急にも何もねぇ。好きだ」
覆い被さったまま顔が近づいてきたので、萩原はまたキスされないように松田の口と自分の間を手で遮った。
「ま、待て。つか言う前にキスすんな」
「いいだろ別に。言葉より単純で、わかりやすくて」
「あのなぁ、そういうのってちゃんと付き合ってから……」
「こっちは今日で落とす気でいるんだよ。お前は何か知らんが嫉妬してたみてぇだし、そのまま誤解させときゃ押し切れんなって思ってんだから」
(嫉妬したのバレバレだし)
それは多分バレてることだろうなとは思ってたけど。
(しかも、意外と考えてる)
でもそれを素直に言うのか。
「なぁ、お前も、それでいいだろ」
熱いまなざしで見つめられて、バクバクと心臓がうるさく鳴って頬も熱い。気付かず、ふれずにいた方がいいと思っていたものを、詳らかにしてしまってもいいのかも知れないな、と思った。こういう場面でなら。この日なら。
「……誤解じゃねぇよ、陣平ちゃん」
でも多分そんなこと気付いていてキスしたんじゃないだろうかとも思う。だってアクセルしかない男だからって、本気で勝算も何もなく突っ込んでくるものだろうか?
「お前が好きなんだって俺も気付かされた」
「! う、嘘じゃねぇだろうな」
「嘘じゃねぇよ。俺も好きだよ、陣平ちゃん」
ハハ、と萩原は笑った。
(そういうことだよな)
くだらない嫉妬をすることも、胸がギュッと痛くなることも全部、そうだからだ。彼の胸元で揺れるペンダントトップを萩原は見ていた。
「俺の為に、そんないいカッコしてくれてたんだ」
さっきまでささくれだっていた心の奥がやわらかく解けていく。自分相手に嫉妬してたなんて馬鹿な話だ。滑稽なことだ。
「最高にカッコイイよ、俺の親友は」
でも他の人なんていなくてよかったと思った。腕を伸ばして抱き締めると、心臓の音が重なった。松田でもちゃんと心臓が鳴り響くようなことがあったんだなぁ、としみじみ思う。
親友じゃなくてもう恋人だ、と思い知らせるようにまた唇が重ねられた。
ホワイトデーの話を考えるならバレンタインデーがなければならないバグの所為でバレンタインデーから考えることになってしまいましたね。
元々適当に↓のネタをブログに書こうとしたんですけど最終的にはこうなったという改造例。
☆萩原くんのこと好きだなって気付いた松田くんがアイツはいつもちゃんと洒落た格好してるし俺もちゃんとするか……って適当にデパート行ってなんか全身コーディネートして待ち合わせ場所に向かったら萩原くんがフーン……って反応だったので、あれっ何か違うかも(恋愛サーキュレーション)、って思う松田くんだが……?
松「オイ萩。何か、似合ってねぇってのか?」
萩「え? うぅん、別に。男前じゃん。イケてんぜ」
松「(の、割に反応が悪いな)」
松「(萩なら気に入ってりゃもっとこう『陣平ちゃんてばやっぱ男前! 最高! 惚れちゃうぜ!(願望)』みたいな……いや惚れる云々はやっぱ嘘……)」
萩「……なんかさ」
松「なっ何だよ」
萩「いい人できた? お前がそういうの気にするなんて」
松「いい人って……お前なんかたまに語彙古くねぇか?」
萩「言ってくれたら俺がカッコ良くしてやったのに。水臭いじゃん、陣平ちゃん」
~~萩原くんは自分が松田くんをプロデュースするのが好き~~
松「(なんか……可愛いこと言われた気がする……)」
タイトル画像ラデュレのマカロン探そうとしたけど見付からなかったから微妙にマカロンじゃない画像です。