その日、デイビットは風邪を引いてしまった。
「100.4 ゚F。ま、風邪ってのだろうな、コイツは」
「……ミクトランパでは風邪を引くのか? ウィルスがあるのか?」
「知らん。こないだ団体さんが来た所為かも知れんが」
「ああ、あの、戦士たちか……」
「そうだ、どこかの時代からたまたまやってきた戦士たちさ。オマエにはただの人間だから近寄るなと言ったが」
「うん。近寄ってはいない。遠くから様子を見ただけだ」
「あるとしたらその辺だが――」
デイビットは柔らかいベッドの上で、朝を過ぎたのに横になったままでいる。テスカトリポカの冷えた手がその額を触った。青い瞳はじっとこちらを見て、風邪か、とまた言った。
朝起きた時にいつもと違う倦怠感のようなものがあって、デイビットの動きは鈍かった。意外と敏感に様子が違うのを隣で寝ていたテスカトリポカは気が付いて、徐にデイビットの額を触り、そして頬を撫でた。「熱いな、それに色も紅い」と言って、デイビットに体温計を咥えさせた。その結果が、先程会話したとおりの体温である。
「ここで、風邪を引くのか」
「ま、オマエの身体は人間そのものだし」
「それは、まぁそうだが。風邪なんて引いたこともない」
「天使サマが護ってくれていたって? なのに、神様は護ってくれない?」
デイビットはふるふると顔を横に振った。まさか、病原菌までソラの彼方が追い払うとは思わない。単にデイビットが頑健なだけだ。
「ここで起こることには、まぁ意味がある」
「まさか、風邪が?」
「人間らしい病ってのを体験しておけってことだろう? オマエが風邪を引いたことがないんだったら」
納得が行かない気持ちでデイビットはテスカトリポカを見た。腰掛けてこちらを眺めているテスカトリポカは、何だか面白そうにくつくつと笑っていた。人が病気をして、苦しんでいる時に、と思う。そして、今自分の身体の状況は苦しいのか、とデイビットは知覚した。苦しい、怠い、しんどい。
怪我をすればデイビットだってそう思うし、罹患してもやはりそうなのだな、と思う。
「Long time ago?」
「子供の頃は、ある」
「ダディが看病をしてくれて?」
「……そうだったな」
デイビットの朧げな、すり減ったような記憶の奥に、父親の自分を覗き込む顔が見えた。
テスカトリポカは柔らかく頭を撫でて、看病なら代わりにしてやろう、と笑った。
「オレは薄情な神ではないんでね。で、こういう時は何を食うんだ?」
「普通にチキンヌードルスープかな。クラッカーとか、ソフトチーズもあればいいと思う。ホットコーラかゲータレードを飲んで」
「オマエらは風邪を引いてもコーラか? 身体はコーラで出来ているって? アイスクリームはいらんのか?」
「後で食べたくなったら」
「待ってろよ」
テスカトリポカはデイビットの額から手を離して、ベッドからひょいと降りた。冷えた手の感触がなくなったのを惜しい、と感じたのは、風邪で全身が熱いからだろう、とデイビットは思った。
氷か何か冷やす物があれば良さそうだ、と次のリクエストを考えていると、テスカトリポカはトレーを持ってすぐにベッドに戻ってきた。その上には、チキンヌードルスープとクラッカー、ソフトチーズが一かけら、ホットコーラにハーゲンダッツのカップもあった。
「これでいいだろう」
「ああ、助かるよ」
「食欲はあるのか?」
「特にない訳でもないし、風邪には栄養を付けるのが一番だろう」
まぁそうだな、とテスカトリポカは頷いて、食べる様子を腕を組みながら見ていた。
「ま、風邪にはテキーラってネタもある」
「ホットウィスキーを飲むといいという話なら知ってる。ああ、そうだ。氷か何かがあれば、額が冷やせていいんだが」
「そういうのなら、便利なのを知ってるぞ、デイビット。ジャパンなんかじゃ風邪によく使うらしい、冷えピタってのだ」
「冷えピタ?」
ほら、とテスカトリポカはまたデイビットの額に触ると、冷たい物を貼り付けた。デイビットが触ってみると、少しごわごわとした毛並みの何かが額に引っ付いている。
「Cool…!」
「ハハ、そうだろうよ。コイツは幹部を冷やすのに最適なんだと。ステイツにはなかったか?」
「ドラッグストアで見たことはあったかも知れないが、使ったことはない……」
額がひやりと冷たい。かつてない感触にデイビットは何となく違和感があったのだが、確かにこれは額から熱を奪い取ってくれそうだ。同時に、テスカトリポカの手は冷たかったな、と思い出した。いつもは手を握ると温かく感じていたのに。
黙々とデイビットが食べていると、見ているのに飽きたのか、テスカトリポカはカップのアイスクリームに手を伸ばしていた。デイビットは温かいコーラを飲みながら、ビタミンが取れるからオレンジジュースを飲んでも良かったなと思う。
「テスカトリポカ」
「何だ?」
「そのアイスクリームはおまえにやる。オレは十分食べたし」
「そうか。ま、ちょっとは寝て休めばいいさ。起きて、その時に食いたければ用意してやる」
「……うん」
ぽんぽんとテスカトリポカはデイビットの頭を撫でた。
「風邪の看病ってのだからな。ま、ちゃんと傍にいてやるさ。必要なら子守唄でも歌ってやろうか?」
「いらない。眠れなくなる」
「いつも失礼なヤツだな、オマエは」
「静かな方が眠れると言っているんだ」
「そうかよ」
デイビットが身体を横にして布団に潜り目を閉じると、「Good night. Sweet dreams.」と、あのよく通る声でテスカトリポカが言うのが聞こえた。
父親は付きっ切りで看病なんてしなかった筈だ、多分。デイビットはそう思ったが、――そう思ったけれども、それを言わずに、静かな部屋の中でよく慣れた気配があるのを感じながら、眠りに就いた。
***
身体を丸くしてすうすうと眠っているデイビットを眺めていると、何だやっぱり人間なのか、とテスカトリポカは思う。彼と関わっていると、まるっきり人間と思えない瞬間と、本当に単なる人間のようにしか思えない瞬間とを交互に経験することになる。この男が何者なのか分からない、と初見の人間が思うのも、無理のないことなのだろう。
ミクトランパは清浄な空気で満たされており――などという立ち位置の場所ではない。どちらかと言えば煙の気配は濃厚だし、デイビットはさほど知らないかも知れないが、いつだって生と死に満ち溢れたような場所だ。最近は見なくなったが、昔はもっと戦士だっていた。デイビットは本当に知らない。現在白紙状態となった地球とあれば尚更だ。
テスカトリポカは何となしに天井を仰ぐ。さりとて病原菌は蔓延していないのでウィルスを持ち運んだのは多分外来の戦士からであろうし、またそれにデイビットが罹患するということも、あり得ないことではない。が、どちらかと言えばデイビットにとってそういう普通の人らしいことが必要だ、とこの男の身体が判断したのではないか、とテスカトリポカは思う。別段、テスカトリポカのやったことではない。まぁ、弱ってる貴重なデイビットを見ているのは別に悪くはないなと思っている。この男はいつだって顔色を変えないし、スンと澄ましているものだから、ほっぺでも抓ってやろうかと思うことは多いのだ。驚いたり、困ったり、慌てたり、そして弱ったり。多分そういうのがデイビットの人生には致命的に欠けているのだ。本人は気にすまいが。
元気良さそうに栄養補給をしていた割に、はふはふと荒い呼吸をしているものだから、思ったよりタチの悪い風邪だったんだろうかとテスカトリポカは顔を覗き込んだ。今にも、「Help, dad.」とでも言い出しそうな苦しそうな顔をしている。致死性の病には流石に罹患しないだろうし、これ以上に悪化もしないだろうとは思うのだが。
軽く髪を撫でながら、そういやこういう時には風邪薬を飲ませるべきだったか、と現代らしい解を今更ながらテスカトリポカは導き出して、掌に赤と緑のカプセルを出した。アセトアミノフェン、イブプロフェン、アスピリン。現代医学の素晴らしい進歩だ。数百年前には存在しなかった。痛みを止める薬、咳を止める薬……。こういうものがあれば、誰でももっと戦えただろう。病を越えて、痛みを越えて、その先に、更なる屍を築けたのだろうか。
(ま、現代兵器には遠く及ぶまいか)
助けてとはデイビットは言わなかったが、多少は楽になればいいだろうとテスカトリポカはカプセルを口に含んで、眠るデイビットの口に流し込んだ。触れた瞬間にデイビットが薄っすらと目を開いたので、ちゃんと飲み込めよ、と言うと、頷いたようだった。
不足していた看病を足したことにテスカトリポカは満足しながら、デイビットの唇を軽く舐めた。殆ど沈んでいるデイビットは、何をされているのかもよく分かっていないようにすぐ眠りに落ちたので、テスカトリポカはおかしくなって唇の端を上げた。
こういう時に唇を重ねるのは、緊急避難的措置だ――とテスカトリポカは考えてみたが、今どうしても薬を飲ませる必要があった訳ではないか、と思い直した。どちらでも別にいいだろう。キスしたのは初めてのことではない。ああそうだ、とテスカトリポカはミクトランでの出来事を思い出して、それから考えたことを消してタバコに火を付けた。
どちらにしても、デイビットが怒る筈もない。何せ、口付けなんかよりもずっと濃い、互いに命を賭け合うような戦を自分たちは乗り越えてきたのだから。
だから、こういうことは、してもいいし、しなくてもいいし……。
「テスカ……」
ダディは呼ばなかったが、デイビットは近くにいる男の名前を微かに呼んだ。そうか、とテスカトリポカはまた唇の端を上げた。
「案ずることはない。オレはココにいてやるさ。オマエの傍にね」
数多の人間に適わない、彼の父親も、喪ったもう1人にも出来ないだろう。
それは、オマエの手を握ってやったオレだけが出来ることだ、とテスカトリポカは思った。
フロロスの話を薄っすらと掬った気もするけど特に関係はないです。
風邪引いたから風邪ネタ書いとくか~くらいの気持ち。風邪ネタは本当にどのカプでも毎度書いてるな……扱いやすく萌えやすいからね。100万回書いても萌えるし。
デイビットくんは風邪引かない! 分かる。でもミクトランパは何でもアリだからねって強い気持ちで書いた。あと寝てる人にああやって飲ませるの普通はダメなんですけど神はそんなことを気にしないので……まぁ、真似しないでください……。
あと付き合ってないイチャイチャからしか得られない成分を常に欲しているのでこれも付き合ってないことにしよ♪って程度ですけど多分付き合っててもそんなに変わらないと思います。
説明に書いておいたけど時系列が適当になってるので「Still no name.」の続きのような「tide, full moon」とはイフのようなサイドストーリーのような適当な立ち位置。