テスカトリポカの楽園は死者の国、死者の来る場所ではあるが、全ての死んだ魂がそこに運ばれてくるワケではない。といったことは、これまでにもデイビットには説明していた。全ての死者が落ちる場所ではないが――オマエは、戦士は、迎えてやろう、と。そういう約束をしたのだ。それで、デイビットはテスカトリポカの楽園に今はいる。
その話をおさらいのようにしたところ、会いたい人に会えるような場所ではないのか、とデイビットは言った。その声には些かの落胆が籠もっていた。
「オマエに、会いたいヤツなんているのか」
「まぁ、生きていれば、多少はそういうこともある。後悔のないように手を打ってきたつもりだが」
「言ってもオレは死の国の管理者、冥界と縁のある神だ。そういうことも、多少は出来るだろう」
テスカトリポカがそう言ってやると、デイビットの瞳に微かに光が生じた。
彼がミクトランパで過ごすようになって、幾ばくかの時が過ぎている。四季は移ろい、空は地上のように朝と夜とを回転する。そうやってここでデイビットは生きてきて、テスカトリポカはそのサポートをしてやったり、カルデアの方にもアサシンの霊基で多少、力を貸してやったりしていた。
「会いたい人の名は?」
テスカトリポカが問うと、デイビットは透明な瞳を真っ直ぐに前へと向けて、いや、と首を横に振った。
「妙なことを言ったな。何でもない、忘れてくれ」
「オイオイ、デイビット。神に二言はない。オレに撤回させる気か?」
「そんな大袈裟なことか? じゃあ、そうだな、友人だ。ペペロンチーノとか」
「オマエのオトモダチのあの男か」
「ああ。……ヤツは死んだだろう?」
そうなると分かっていたから、デイビットはペペロンチーノと名乗る男に、異聞帯の境界を越えて会いに行ったのだ。デイビットが、その男をはっきりと友人と言ったのはこれが初めてのことだが、少なくともずっと同じように感じていたのだろう。デイビットには、友愛という感情がある。友誼があるのだ。どこか自虐的な、自罰的な胸の内を持つ男に、友情を感じている。
淡々とデイビットは、友が死んだということを語った。ミクトランにいた頃も同じように、「そうか、死んだんだな」と言っていた。嘆いているのでもないのだろうが――、或いは、本当の胸の奥は、自分の中でも秘めておきたいと考えているのかも知れない。デイビットが本当に会えるのなら会いたいと思って心に描いたのは多分、違う。恐らく、自分はこのようにやったのだということのルーツを、一度でいいから確認してみたかったのではないか、とテスカトリポカは推測し、それを彼に言ってやらないでおいた。自分自身にすら秘めたいと思うことを、神が暴き立てるのも、要するに不躾なことだと考えたのだ。
(会えるのなら会いたいと考えた一人の内だということに違いはないのだろうな)
そう考えて、テスカトリポカは何となく、釈然としない心持ちにもなった。
「まぁ、まだ、引っ掴んで来れば言葉を交わすくらいのことは出来るだろう」
「すごいな。流石だよ、全能神」
「褒め言葉なら幾らでも受け取ろう。好きなだけ敬え、デイビット」
デイビットは存外素直な男なので、賞賛に値すると感じれば、それを口にする。その分、文句があれば忌憚なく言う。
「焚火が見えるだろう、いつもの焚火が。そこに呼び寄せた。ま、正規の方法じゃあないんでね、長くは保たない。精々、10分かそこら――」
「5分あれば十分だ、テスカトリポカ」
いつもの、地球にいる時の癖のようにデイビットは言った。その5分の重さをデイビットは誰よりも理解している。絶対に忘れない時間。自分が繋ぎとめている大切なモノ。短すぎる一日。
ミクトランパでは記憶障害のような状態は防げるが、デイビットにとって、未だ5分の価値は重い。
「行ってくる」
「――待て、デイビット」
「時間がないんじゃ……」
テスカトリポカはアトマイザーを取り出して、デイビットの顔にシュッと掛けた。デイビットは催涙スプレーでも掛けられたように驚いて、手で目の前をパタパタと払った。
「何するんだ」
「香水だ」
「それは分かる。顔目掛けて掛けるものじゃないだろう」
「ああ、そうだったな。首元や手首、香る部分に掛けるものだったな」
手を、とテスカトリポカが言えば、デイビットは黙って右手を出した。軽く指を握り、手首が見えるようにコートの袖を少し上げている。
「この香りは――」
「ああ、コイツは最近作った香水でね」
「また何かやってるのか? テスカトリカンパニー?」
「ま、そういうところだ」
「最近ずっと付けているだろう」
「プロモーションの一環でね。イイ香りだろう?」
首元、いや耳の後ろ辺りだろうか、とテスカトリポカは手首に香りを付けてから、デイビットの髪を掻き上げた。デイビットは少し驚いたような反応を見せたが、首元と言ったのを憶えているからか、大人しくしている。
金色の髪は剛毛に見えるが、触ってみるとむしろ柔らかい。これでどうして跳ねた髪型になるのかテスカトリポカにも疑問だが、濡らしていると、ぺたんと下がって落ち着くので、大分印象が違う。後れ毛の辺りを触り、耳の後ろを確認するように指で撫でて、そこに香水を一度だけ噴き掛けた。
「こんなもんだろう」
「どうして香水を付けるんだ? 別に、清潔にしていると思うが」
「気取っていけよ、デイビット。久々の再会で、これが最後の邂逅なんだ」
「落ち着かない」
デイビットは手首を鼻に近付けた。
「ここからおまえの匂いがしているみたいだ」
テスカトリポカは虚を突かれて驚いた。デイビットの発言の意図は分かる。最近ずっとテスカトリポカがこの香りを身に付けていたから、テスカトリポカの付けている香りだと彼は認識していた。それが自分の手首から香るので驚く――、と。
何だか無性に、その手を取ってやりたいような気がした。デイビットはくるりと背を向けて、じゃあ行ってくる、と火の方へと向かう。そこには揺らめく人影が見える。
「オレの、ね」
香水の作成時にテスカトリポカは、この香りのイメージとして、自らの戦士のことを思い浮かべた。汗の匂い、血の匂い、体臭、そういうモノをさっぱりと洗い流せるような爽やかな香りがいいだろう。実際の顧客がそういう相手ではないにしても、どういうイメージで香りを形作るかは重要だ。
そうだ、とっておきの戦士の為に、デイビットのような男の為に――と。
この香水はデイビットに付ける香りをイメージして作成された、モノだ。そのようにテスカトリポカは最初、理解していなかったが、今は、そうだったのだろうと思う。テスカトリポカが思う、デイビットのイメージ。甘いものが好きな男だが、香りにまで甘さはいらない。さっぱりとして、清潔な、清廉な香り。シャボンではない。そういう、ふわりとした香りでもなくて――柑橘系、クールなミント、奥底に眠る炎を体現するムスク。調香師ではないので雑多、そして、多分にイメージを具現化させただけの香りだ。だが、これは、テスカトリポカも気に入っている。
そもそもデイビットに付けてやるものだった。だから、これを奇貨として付けてやっただけだ。これは自分の香りなのではない。テスカトリポカは煙る鏡。その香りは煙草のような匂いの方が合っている。それでも――デイビットにとってそう感じるのであれば、それはテスカトリポカの香り、となるのだろう。彼の傍を漂う香り。一瞥すらせずとも、最早その男には誰も近付けない。
テスカトリポカは白煙を棚引かせた。香りが消えるように。或いは、香りが煙と交わるように。デイビットの傍にその煙が永遠に在るように。
香水の話を昨日ブログで書いて、いややっぱ纏めておくか……私の好きなタイプの話だし……と思ってワンドロくらいの感じで書いたものの、昨日書いてたコトと大分違う。
まぁこの後は
ペペ「あらいい香りじゃない、デイビット」
デビ「おまえに会うならとテスカトリポカが付けたんだ」
ペペ(……へぇ、随分な牽制じゃない)
になるので。
デイビットくんはこの香りが付いてるとテスカトリポカが傍にいるみたいだなって思ってるし。