デイビットが南米の異聞帯にテスカトリポカを召喚し、ORTを起動させる為に神殿が造られて、この戦争は始まった。
通常の聖杯戦争であれば、マスターとサーヴァントは基本的に行動を共にするものであるが、デイビットはテスカトリポカに自由にやっていいと言っていた。自分の方でもあまりそちらに構わず過ごすから、と。勿論これは通常の聖杯戦争ではないので、常時、他のマスターやサーヴァントに狙われることがないといった事情もあるし(一応クリプター同士でやりあう可能性もなくはないが、デイビットは自分が狙われることはないだろうと推測している)、テスカトリポカは性質を複数持つ神であり、常に傍に控えているようなタイプではないと思っていたからでもある。
ともあれ、どのような理由があるにしても、デイビットは一人でフィールドワークに出歩いていることが多い。人の多いメヒコシティには馴染めないというより、収まりが悪いような気がしていた。テスカトリポカは、ベッドで休息する方が身体の為になる、戦士は身体が資本だ、とデイビットに家を用意してくれているが、あまり戻ることは多くなかった。単に物資の補給拠点等といった認識だ。
そのような理由でデイビットはいつもと同じく密林、鬱蒼と生い茂る木々の中にいた。噎せ返るような熱気にももう慣れてきた頃ではあるが、快適という言葉から程遠いということだけは事実だろう。この生活に快適さを求めたつもりもないが――と、デイビットが照り付ける太陽、宇宙にある本物の太陽とは違うにしても同じくらいに熱いそれを仰ぎ見たところ、中空から何かが落下してきた。
デイビットは視力が通常の人並みにあるだけなので、その高い位置から落ちてくるものが何か分からず、当然の反応として避けた。
「オイ、デイビット」
「……テスカトリポカ?」
「何故避けた」
「高所から物体が落ちてくれば避ける。当然だろうが」
「オレがオマエを押し潰す筈ないだろうが」
デイビットは、実際に上からぶつかれば当然にこちらの身体が潰されることになるだろうとは思ったが、器用に避けて傍に着地する気でいたらしいテスカトリポカに一々指摘することもしなかった。果たして銃撃の腕前と上からの落下でのターゲッティングとで精度に違いが出るものだろうか、とも思ったが。
テスカトリポカは灰色のボディスーツのような、戦闘時のジャガー的形態とでも言うのか、説明を求めたこともないのでデイビットも完全には知らないが、そういう出で立ちをしていたが、すぐに元の現代風のサングラスと黒いコートの姿に戻った。
「また収穫のないフィールドワークか? オマエも暇だろう。花見でもするぞ」
「何かもう少し説明はないのか?」
「言ったままだ。ジャパンじゃあ、春になったら花見をするものだろう? ま、熱帯の毒々しい花であれば、この辺りじゃ幾らでも見られるがね。ラフレシアだとか」
この熱帯のような気候のミクトランにおいて、春もなければ秋も冬もない。永遠に夏のような気候だ。テスカトリポカはいつものように、旧友にしているかの如く馴れ馴れしくデイビットの肩を抱いて、にやにやと笑っている。
「ラフレシアなんて生えていたか?」
「物の喩えさ。名前なんざ何だっていい」
一応この辺りの植生は概ね中南米に即しているらしいので、ラフレシアは恐らく咲いていない筈だが、デイビットもまだ未踏の地が多いので全容を把握していない。今度探索した時に探してみよう、とデイビットは考えた。ここでは兎も凶暴だし、もしかすると植物も襲ってくるかも知れない。
「そういうワケで、花見の席を設けた。行くぞ、デイビット」
「全く説明になっていない。どういうワケなんだ?」
「あん? デイビット、オレたちは今何をしている」
「異聞帯で戦争をしている」
「そうだ」
テスカトリポカは満足そうに頷く。頭上に手が伸びてきたので咄嗟に避けようとしたが、躱し切れずに捕まった。デイビットはテスカトリポカの手に頭をぽんぽんと撫でられる。
「そうだ。オレたちの饗宴をやっている。ま、まだ下準備の段階だがね。じっくりと食材を見極めているだけだと言ってもいい。オレはその為にメヒコシティを築き、1年テスカトリポカの儀式をやっているワケだが」
「ああ。イスカリがそうなのだろう?」
「そう、1年だ。オレたちは1年をやる。そうなりゃ年中行事の1つでもやっておいた方がいいだろうということさ。分かったな?」
「今ので何が分かるんだ。大体そういうのはイスカリやトラロック神とやればいいだろう」
「ヤツらはまだ仕込みに時間が掛かるんだよ。今日は大事な大事なお勉強タイムだ」
デイビットは、パッとテスカトリポカの横顔を見た。
「待て。じゃあ、花見というのはオレたちだけでやるのか?」
「オマエに気を使ってやったんだろうが。神の有難い気遣いだぜ? オマエはちっともメヒコシティに寄り付かん。人と関わるのがそもそも嫌いらしいからね。オレと2人きりの方が都合がいいんだろう?」
「好きか嫌いかで行動を決めてはいない。必要がないからメヒコシティにも戻っていない。ただそれだけで――ウワッ!」
「喋るなよ。舌を噛むぞ、デイビット」
テスカトリポカは形態を先ほどの戦闘形態に変えたと思うと、デイビットを肩に担いでそのまま跳躍した。全く有無を言わせない移動方法だ。デイビットも空中で舌を噛むのは嫌なので口を閉じる。
その跳躍は常人であれば成し得ない――などという言葉では表現することも出来ない。生物の動きとは思えない高さに跳び上がる。空に天井があるのならそこに手が届きそうな高さに跳ぶ。サーヴァントだから。全能神だから。そして、右手の令呪で結ばれたデイビットの魔力が常に与えられているからこそ、このような地上の法則にすら抗うかのような跳躍が可能になるのだ。
上空から見下ろす一面の緑。デイビットも、ジャパニーズが、春になると花――主に桜――を下から眺めながら宴席を囲むというようなイベントを行うことを知っているが、わざわざ下から眺めずとも、この光景は既に壮観だ。そういう情景が殊更に胸に迫ることもないが、十分じゃないのか? と思う。全能神はこれだけでは何が不満なのだろうか。
それにしても、これだけ自由に跳躍するテスカトリポカの挙動は通常の人間に耐えられるものなのだろうか、とも、デイビットはふと考えたのだった。
空の移動は10分程度だった。明日には忘れるような跳躍移動を終えたデイビットは地面に降ろされる。テスカトリポカは意外と優しく、デイビットの身体をポイと投げ出すようなことはしなかった。
「……ここは?」
「秘密の花園――とでも言えば、それらしいだろう?」
「どうして、こんな場所にソメイヨシノが……」
そこには見事な一本の桜の木が佇んでいた。薄桃色の花弁ばかりが咲いているのは桜の中でも有名な品種ソメイヨシノだ。そして、ソメイヨシノという木は全てクローンなのだが、白紙の地球には元となる木がもう存在していない。どこをどうすればこの南米に、この桜が存在するのかデイビットにはまるで分からない。
しかも、熱帯雨林のように木がそこかしこに生える中でその一帯だけぽっかりと、隕石が衝突してその場所にあったものが全て吹き飛んだかのような更地になっている。木どころか草も生えていない。バラバラと花弁を降らす桜の木は美しいが、そこは通常の地球上でも存在しないであろう異様な光景だった。
「どういう理屈なんだ?」
「細かい理論を聞けば人間が神のようにやれるとでも思うのか、デイビット」
「煙に巻こうとするな。こういう芸当が可能なら、おまえは何だってこの場所に生やせることになる」
「それこそ必要性の問題だろうが。そうする必要がない。オレが木をそこら中に生やして何になる? 木造建築でも発注するのか? あのメヒコに木の家なんざ、ハチドリが『違う』と言い出しそうなもんだが」
必要性の話だけで言うのならば、ここに桜の木が出てくる必要性もないのではないか、とデイビットは思う。
魔力が極端に消費されているという感覚はない。街一つを創ることに比べれば、この程度のことは、神にとって造作もないことなのかも知れない。
「ま、それに、だ。この花を見てみろ、劣化している。試しにやってみたが、こういうのは持たないな。散り止むことはないし、一瞬で終わる。再び芽吹くこともなく花実は消え、幹は腐り、全てが朽ちていくだけ。儚いものさ。だから、オマエをココまで急いで運んできてやったというワケだ。悠長にしていれば花見も出来ずに全部散っていたところだぞ」
「……花見に連れて行ってくれとせがんだ記憶はないが」
「ああ、ソイツはオレにも覚えがないな」
デイビットは額を押さえた。テスカトリポカは、したいことをして、付き合わせたいことに付き合わせたいだけらしい、ということは分かっているつもりだったが、デイビットはそれらをつぶさに記憶していないので、そういう出来事に遭遇したのは初めてのような気がする。
「この有様じゃ、作物を生やしてもまともに食べられるモノは出来んだろう。残念なことだ」
「それが必要性か?」
「ついでさ、そんな実用性は」
テスカトリポカははふわりと煙草の煙を漂わせた。白煙が風に棚引き、散る花びらに纏わるようだった。
「デイビット、もう終わる花だが、ちゃんと目に焼き付けておけよ。他でもないオマエなら、たとえこれが一瞬でも、そこに価値を見出すことができるだろう」
テスカトリポカに言われて、デイビットは咲き誇る木に視線を向けた。バラバラと花弁は落ちていく。木の周りに桜色の絨毯が出来上がっていく。これはもう終わる木なのだとまざまざと見せつける。ほんの一瞬だけの、まるで夢のような光景。
散りゆく花にも5分以上の余裕はあった。デイビットはじっと桜を見つめる。網膜に焼き付いた映像は永遠に消えずに残るのかも知れない、と思う。
「綺麗だな」
「そうだろうとも。何せ全能神がオマエの為に手ずから用意してやった桜だからな」
何とも恩着せがましいな、とデイビットはため息を吐いた。花見をしたいと思ったことはないし、見せてくれと頼んだこともないのに、いつもテスカトリポカは勝手なことばかり言っている。
けれども。花は美しかった。こんな場所では見られないような――そして今の地球でも到底見ることの出来ない景色を見ることが出来た。それは紛れもなく全能神のお陰だろう。
2人きりで、二度とは見られぬ景色を見る。そういう経験ばかりをしているような気がした。神殿から見る風景、そこで棚引く白煙。神様が自分の横で笑っているということ――。
「ハハッ。器用だな、デイビット、そんなところによく花びらが付いたもんだ」
風が花びらをこちらにも運んできていることにはデイビットも気が付いていたが、それがひとひら、デイビットの頭上に乗っているようだった。生物にも避けられるような身であっても、死にゆく花弁には避けられないらしい。テスカトリポカはデイビットの頭上を見て口角を上げると、花びらをひょいと掴んで、デイビットの掌に押し付けた。
花びらはすぐに風に舞って、掌の上からふわりと消え去った。
「しまった、花見には酒が必要だったか。メスカルを用意しておけば良かったな」
「オレは飲まないから必要ない」
「なら、花見弁当か?」
「Bento…」
その言葉を聞いて、そういえばランチがまだだったな、とデイビットは思い出した。思い出しただけで腹の音が鳴ったということもないのに、テスカトリポカは「何だ、空腹か?」とデイビットに尋ねる。
「しっかり食っておけよ。メヒコシティで何か用意させるか」
「構わなくていい。食事なら――ウワッ」
「街までは遠いからな。注意しろよ、デイビット」
再度担がれたと思うとテスカトリポカはすぐに跳躍する。身体が空に近付き、地面からは遠ざかっていく。もう消えてしまいそうな薄桃色は、デイビットの視界から消えてしまった。
それでも、あの異様で美しい光景は、忘れないでおこう、と思う。たとえ1秒でも。今日の記憶に残そうと決める。
「テスカトリポカ、何故、桜の周辺だけ他の木が何もなかったんだ?」
「この状態で喋るか、デイビット。桜を植えるのに邪魔だったから破壊しただけに決まっている。どうせ破滅する異聞帯だ。そこら辺の滅びが早くに来たとしても問題はないだろう」
相変わらず無茶苦茶な、と、もう口に出さずにデイビットは思う。
それでもそういう神様との記憶は、舞い散る花びらが絨毯を作るように、少しずつ心に堆積し、やがて何かを作り出すのかも知れない。
いつもどおりの好きにしてる神様と色々と思い出を増やしていくデイビットくんの話です。
テスカトリポカは全能神なので概ね何でも出来るという感じになってます。