cat and day

 戦争の足音は決して遠くに聞こえるものではない。現在よりも少々時代を遡れば、アメリカにせよ日本にせよ、戦争は決して縁遠い話ではなかった。
 今の時代において、少なくとも日本ではまだ我が事のように感じる者は少ないだろう。だが、高速回線、地球の表と裏のような位置関係にあっても瞬時に情報を伝達できるような技術の進歩があり、グローバリゼーションという言葉が広まっている現在いまですら、戦争は続いている。戦は無くならない。

「ま、オレとしては、勿論そういう世であることを否定するような理由はないワケだ」

 テスカトリポカは戦神である――というのは、かなり一側面を切り取っただけなので正確ではないが、そのような面を有するのは事実。テレビドラマやニュースの戦争の話題に対して、どちらかと言えば興味をそそるという反応になるのは否めない。その日もテレビを見ながら何気なくそう言った。
 デイビットは、この日本で温厚に、平和に暮らしている。その彼が、現代の戦争に対してはどちらかと言えば憂いを抱いているというのは、恐らく環境的な影響が強いのだろうと思われた。

「あんまり物騒なことを言わないでくれ。そういうことを言っているから、邪神だとか、悪神だとか、そういうふうに言われるんじゃないのか?」
「――随分だな。現代人の評価になどオレは興味ないが」

 ――だが、オマエはオレを、善悪の上にあるものだと言っていただろう?

 テスカトリポカがふと口にした言葉に、デイビットは眉間に皺を寄せた。そして、黙った。
 その状況が良くないということに戦神はすぐに気が付いた。

「ああそうか。じゃあそう言ってくれる相手のところに行ったらいい」

 すぐに気が付いたのだが――、気が付いたところで、「オレは独りで寝る」とデイビットはスタスタと寝室に戻り、鍵を閉めてしまったのだった。この間ほんの10秒ほど。テスカトリポカに引き留めるような余地はまるでなかった。あまりにも迅速果断だ。

「オイ、デイビット!」

 慌ててドアノブに手を掛けるも、当然、鍵が掛かっているので開かない。デイビット、オイ、と言ってドアノブをガチャガチャ揺すってみても、何も言わない。

「デイビット、悪かった、オマエを別に何かと比べたワケじゃあない、ただ、」
「知らない」
「デイビット、話を、」
Go away.あっち行け

 そして取り付く島もなかった。テスカトリポカは今依代のボディを使っているデミ・サーヴァントもどきではあるが、ドアを破壊することくらいは可能だ。しかし、壊して入れば、今度こそデイビットに追い出されてしまうかも知れない。無論、如何にデイビットとは言え、人間のチカラで、依代であるとしても神様に敵う筈もないのだが、そうして信頼関係を喪えば、それを修復するのは容易ではない。
 デイビットは根本的に言い包めやすいという性質ではない。かなり頑迷な方だ。彼が突然現れたテスカトリポカを信じたことも、絆されたことも、僅かな時間での出来事ではあったが、それは決して彼が懐柔し易い性質であるということを意味しない。彼は自分の中の理論に基づいてそれを信頼できると判断したからテスカトリポカのことを信じて受け入れたのだ。
 つまり現代風に言えば、デイビットはちっともチョロい男ではないのだ。ドアを破壊して、抱き締めてキスでもしてやれば機嫌を直してくれるような相手ではない。むしろドアの無用な破壊に怒って一切の話を聞いてくれなくなるだろう。今もあまり聞いてくれていないが、まだ受け答えがあるだけマシだ。完全に心を閉ざして口を聞いてくれなくなってしまう。
 テスカトリポカは考えた。
 確かにデイビットは、他人・・に容易く懐柔できるような手合いではないだろう。

(だが――)

 テスカトリポカはドアの前でするりと形態を変えた。そして、囁く。

「にゃーん」
「ッ……なッ……!」
「にゃあん」
「……ッ、黒猫テスカになるなんて、おまえな……!」

 デイビットはこの黒猫に甘いのである。この同居人テスカのことを無碍にできないのである。

「にゃーん……」

 カリカリとドアに爪を立てて淋しそうに鳴くと、少し逡巡はあったようだったが、ドアは開いた。黒猫テスカはすぐさまデイビットの脚にすりすりと身体を擦り付けた。

「……おまえな」

 実際これはかなりよくやった手だった。勝手にデイビットのハンバーガーを食べて怒られてその日は寝室から締め出されても、中に入れて、と猫の鳴き声で鳴くと、デイビットはすぐにドアを開けてくれたものだ。
 ジャガーモードを継続しているテスカトリポカは、素早くデイビットのベッドで丸くなる。デイビットはため息を吐きつつ、丸くなった猫の頭を撫でた。

「おまえ、次は誤魔化されないからな」
「にゃーん」
「……全く」

 そう言いながらも、デイビットの顔は嬉しそうだった。
 黒猫テスカは、デイビットが自分を大事にしてくれていることを知っている。猫であってもそうだったし、勿論、人間のすがたになってもそれは同じだ。だから彼は怒ったのだ。いや、やっぱりあれは嫉妬していると言うべきだろう。そうやって、戦神を肯定してくれる自分・・の方がいいのか、と――。
 テスカトリポカにはそのような意図はない。いつものように、どこかの時空と共有した景色について話したというだけだ。
 確かに、世界が違えば彼もやはり違うのだが、こうして拗ねたりもするデイビットは可愛い。他のテスカトリポカが連れて行こうとしたとしても絶対に譲らないだろう。何と言ってもこのデイビットだけが、自分の愛するデイビットなのだから。

「寝よう、テスカ。フフッ、久々だな、この温もりは――」

 機嫌を直した――正確に言うとデイビットは瞬間的に怒ったが、精々が嫉妬なので時間を掛ければ落ち着くものであり、猫でその時間が短縮される――辺りで、猫のままではなく戻って「オレが悪かった、オマエだけだ」と言ってぎゅっと抱き締めて寝るつもりでいたのだが、デイビットが猫と寝ることを予想以上に喜ぶので、戻れなくなってしまった。
 ――黒猫テスカの方がいいのか?
 それこそテスカトリポカは嫉妬した。黒猫テスカに。いや、同じ人間のあいだでそんな感情を抱いても本当に不毛なことなのだが。

「前に言ってたよな。オマエが人間になったことでオレは黒猫テスカを失くしたんじゃなくて、むしろ、オレの黒猫テスカは、猫の寿命でオレを残して逝くことがなくなったんだと。ずっと傍に寄り添えるようになったんだ、と。そうだな。やっぱり、そうなんだろうな……テスカ……」
「……にゃあ」

 黒猫のボディは喜んだが、内心でまたテスカトリポカはねこに嫉妬した。ずっと傍にいるのは、猫もそうだが、一義的にオレの方なんだが? と。

「にゃー……」

 すぅすぅと寝息が聞こえてくる。
 

 狡い猫だな、と思った。デイビットの目が覚めたら、やっぱり人間の方に戻っておいて腕の中に抱き締めてやっておいた方がいいんじゃないのか?


 目が覚めて神様の腕の中にいたデイビットは、ぱちりと瞬きをして、眠る前にはテスカと眠ったのに、と思った。

「……テスカ、猫は?」
「オマエの恋人は誰だ」
「? おまえだろ?」

 ごしごしと乱暴に目を擦り、その瞳を細めてテスカトリポカは腕の中のデイビットを見た。

「そうだ。猫――ではなく、ジャガーではない」

(たまに猫じゃないって指摘を忘れるな)

「デイビット」
「聞いてる。猫に嫉妬してるのか?」

 デイビットは首を傾げた。テスカトリポカは眉間に皺を寄せて、何だか不満そうだった。

「どっちもオレのテスカだよ」

 そう言って頬にキスをすると、テスカトリポカは何だか丸め込まれたような顔をして、ぽんぽんとデイビットの頭を撫でたのだった。


本編とは特に関係のないゆるいオマケです。
猫ちゃんの話書きたかったのに猫ちゃんの話が少なかったので猫ちゃんです。

テ「ジャガーだ」

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