オマエの誕生日はいつだ、とデイビットがテスカトリポカに聞かれたのは、暑い日のことだった。
暑い日と言っても、ここ南米異聞帯ミクトランにおいてはいつも暑い。四季を感じられるような温度の変化はない。ただ今頃は、地球が白紙でなかったとしても、かつて自分が住んでいた場所は暑かったのだろうと思う。カルデアのあった南極にもそういう温度変化はなかったが。
「What does that mean?」
「When is your birthday? ――It’s not difficult.」
デイビットは、首を軽く振った。
「この身体が生まれた日ということか? それとも――」
「オマエが生まれた日に決まっているだろうが。デイビット」
「そうか。それなら」
デイビットは頷き、あまりそのようなことを自分は意識していなかったと思った。
自分が生まれた日? それに何の意味が?
彼には意味もあったのだろうが。
「何だ、もしや憶えていない……知らないのか?」
「いや。知っているし憶えている。It’s July…」
口に出してから、「It’s today.」とデイビットは呟いた。
「そうか、今日か……」
デイビットは、自身がデイビットとして意識を得てからこれまでずっと、記憶の制約がある。当然、自分が生まれたその日もそうだった。だから、さほど記憶に留めていない。記憶は、自分が消滅して、自分が生まれたということだけを理解した。日付に意味はないが、記憶の始点がそこであるということが分かるというだけだ。
「ソイツはちょうどいいな、デイビット。祝ってやろう」
テスカトリポカは楽しげに言って、デイビットの頭上に手を伸ばした。意識を過去に飛ばしていた所為で反応が遅れたデイビットは、甘んじてその掌を受け入れることになった。彼は好んでそういうことをしているのだ、と、一応デイビットも記憶している。
「……タイミングが良すぎじゃないか?」
「何だって? また運命を感じたか?」
「いや……」
デイビットは首を振る。以前にテスカトリポカに誕生日について話したことがあっただろうか。自分の生まれについては、必要な限りで話している筈だが、雑談はあまり記憶していない。しかし記憶は自分で取捨選択をするのだから、多分、言ったのなら憶えていると思うが――いや、そんなことやはりどうでもいいからと忘れたんだろうか――。
「ここじゃバースデーケーキがないな。西洋ではロウソクを立てたケーキを食べる文化なのだろう? まぁ、今じゃ世界中どこでもそういったことをするようだが。流石にそういう食い物は用意してやれなくて悪いな」
「必要ない。こんな場所で、ケーキやキャンドルなんて」
いやそれ以前に、そもそも、誕生日を祝われる謂れがない。それ自体が必要ないのではないかとデイビットが言おうとする前に、頭上を撫でる手を少し止めたテスカトリポカは、「Is there anything you want?」と尋ねた。その声色に、一瞬、デイビットの発言が遅れた。
遠い昔、自分の家族も、自分にこのようなことを聞いたのだろうか。
「ここで、何でも用意してやれるとは言わんがね。限りはある」
「……何もいらないよ」
「オイオイ、釣れないことを言うなよ、デイビット。神からのプレゼントがいらないって?」
「そういう意味じゃない。ただ、今おまえも言っただろう? リソースには限りがある。おまえがやることも、おまえの魔力も、ミクトランの資源も。だからそれらを無駄にしたくない。オレに無駄なリソースを使うなというだけだ」
「つまり、物はいらないということか。なるほどね。それなら、オマエの望む形にしてやろう」
デイビットは、テスカトリポカにはちゃんと話が通じないことが良くあると思っていた。神と人とであるのだから、そもそも同じレベルで会話することはできないだろうし、致命的な問題でも起こらなければ、まぁいいか、と思っているのだが。
頭上を撫でていた手がサラリとデイビットの前髪を掻き上げる。露出した額に温かいものがぶつかった。それが、彼の唇であったということに気が付いて、デイビットはギョッとした。
「なッ……?」
「神の加護だ。これならいいだろう? ま、魔力的には多少リソースを使ってはいるのだろうが、一晩で戻る程度だ。何の支障もない」
デイビットは目を白黒させた。映画で見た程度のことしか知らないが、多分、こういうのは、異性間での――それも、年若い男女とかがするようなこと、ではないのだろうか。
だが、物体は不要だと言ったデイビットの意には叶っている。それに、神様、それも神話の頂点にいるような神の加護だ、願っても貰えるようなものではないだろう。
確かに有難いことであると思う反面、だからと言って、額に口付ける必要はあるのか? とも思う。かなり思う。困惑した。迷惑だとも思わないが――。
デイビットは一瞬で思考を巡らせた。そう、この神様は人間のことが好きなのだ。闘争本能を持つ人間を好んでいる。もしかすると、過去には祭壇でそのようなことをしていたのだろうか? そういう側面もあるような気がする。つまり神様にとっては、不思議なことではない――。
「デイビット?」
「……いや。ああ、ちょっと驚いたが、ありがとう。有難く受け取っておく。いつもこういうことをしているのか?」
「いつも? 神が人間に一人ずつ加護を与えてやっているということか? 誰彼構わず?」
いや、そうであるにしても、彼がわざわざ、そのようなことを自分に言うこともないだろう、と思った。王権の守護者、という側面を有しているが、彼がその王国についてをデイビットに語ることはない。彼にとって、過去は過去にすぎない。イスカリが、かつての王の魂を有するとしても、イスカリはイスカリであり、それは過去の栄光ではないということと同じだ。
「オマエは特別な戦士だからな」
「オレがそう言ってもらえているのは善いことだと思う」
「ああ、そうだ」
テスカトリポカは頭をまた、ぽんぽんと叩いた。それをされるままにして、デイビットは、神の加護を受けた自分たちの戦争は、きっと上手くいくのだろうと考えた。地球は滅び、また再生する。その先に自分がいなくとも――輪廻というものは回り続けるのだろう。そしてその時には、消し去られずとも個々の記憶になど意味はなくなるのだろう。ただ自分が憶えていたという事実が存在するだけだ。
自分が憶えていたということにだけ意味があるのなら、忘れないようにしようとデイビットは思った。この神様のことを。神様との戦争を。あの出会いを。神の加護を。
それだけが自分にとっての唯一になるのだから。
「来年はケーキで祝ってやるさ」
「そうか。ありがとう、テスカトリポカ」
***
「というワケで、今年はバースデーケーキだ。どうだ、オマエでも驚いただろう?」
「……わざわざ部屋に隠匿を仕掛けてまでオレにサプライズしようというおまえの魂胆には驚いたよ」
そもそもミクトランパにおいてデイビットには何の権限もないので、こういった誕生日の飾り付けがされている部屋を隠すことは、テスカトリポカには容易だろうし、もっと言えば、家や部屋を新しく作って出せば、その存在はデイビットには全く分からない。ミクトランパにやってきて、テスカトリポカがする数々の出来事にデイビットは驚いているのだが、いつまでも律義に驚いても仕方がないのではないかとも思っていた。
テーブルの上には巨大なケーキが置かれている。三段重ねのホイップクリームと苺や果実でデコレーションされた美しいケーキは、ロウソクが刺さっていなければ、誕生日用のケーキというよりも豪奢なウェディングケーキとでもいう方が納得するようなケーキだ。
さらに、ケーキの横にはディナー、オードブル、デザート、とあれこれ並んでいる。この統一感のなさ、人間らしくない量、ケーキと食事が一纏めになっていることなどが、やはり、人間の文化を適当にチョイスしている神らしいのかも知れない。デイビットはリブアイステーキとハンバーガーとピザを見ながら考える。
「憶えてたんだな、誕生日」
「当然だ」
「オレも一応憶えてるよ、祝ってもらったのを」
そうか、とテスカトリポカは顔を綻ばせた。あの時何をしたのか、本当に彼は憶えているのだろうかとデイビットが思っていると、テスカトリポカはデイビットの手を取り、その甲に唇で触れた。
「加護というか、祝福と言ってやるんだろうな、こういうのは」
「だから、何でこういうやり方なんだ? いつもこんなことを?」
「言っているだろうが。いつもではない。いつもやることを、わざわざ加護だとか、祝福だとか言わんだろう?」
デイビットは黙った。放された手の甲を撫でる。ちょうど令呪があった辺りだろうか。
あれから一年の時が経過して、今ではデイビットも、テスカトリポカがあの時にしたことは、誰にでも行っていることはなかったのだと理解している。今、彼にとって自分は特別な存在であり、そして自分にとっても彼は特別な存在だということを認識している。ただ、急に手の甲を取られてキスされれば、やはり誰でも驚くだろうということを言いたいのだ。
「では、今年はケーキで祝ってやると言ったのも憶えているな? 無論、ケーキだけではなく、オマエの欲しい物をプレゼントしてやろう」
「そういう物は特にない。家だって、作って貰ったようなものだから」
「何だ。欲がないな、オマエは、いつも」
「――欲しい物は、もう全部手に入ってるから」
「最高の恋人が?」
「あぁ、そうだ。それに温かい家もある」
テスカトリポカは返答に十分満足してくれたようではあったが、さりとてプレゼントを用意できないことについては、不満があるようだった。
「こういう時くらい、ワガママで、贅沢になればいい。まぁオマエは割とワガママな男だとは思うが」
「だから不満はないんだと言ってる。じゃあ、そうだな、暑いし、プールでも欲しい」
「いいだろう。そういうのだ、デイビット。それ、見てみろ」
テスカトリポカがパチンと指を鳴らす。そういえば、そもそも家の近くには海があったな、とデイビットは思ったが、テスカトリポカは嬉々として、ウォータースライドで遊ぶぞ、などと言っている。
「待ってくれ。まずはケーキと食事が先だろう?」
カーテンの向こう側は後にしようとテスカトリポカを制し、デイビットは白いケーキにさっくりとナイフを入れて切り分ける。皿に乗せる。テスカトリポカは適当にフォークで刺して口に運んでいるので、デイビットは肩を上げた。まぁ、マナーなんて気にする場所じゃないだろうし、と思う。
「……それにしても、折角、神様から加護を貰ったのに勝てなかったんだな。戦神の加護があって――」
「何だ? アレはそういうのじゃないだろう」
「違う?」
「誕生日にひとが貰うのは生誕の祝福だろう。加護と言ったのは、先の戦いを無事に生き抜けるようにという意味だが、あの祝福は、オマエの人生の幸せを願ったものだ。それは、戦争に勝つことだけじゃない。今、オマエは幸せだろう?」
デイビットはぱちりと瞬きをする。
祝福をくれる神様。優しい恋人。大きなケーキ。美味しそうなステーキやハンバーガー。
そして、カーテンの向こう側に新しく用意されているだろう自分のプレゼントのことを考えながら、デイビットは頷いた。
「ああ、そうだな。ありがとう。……今日はとてもいい日だ」
デイビットくんおたおめ~という気持ちです。
デイビットくんには神様の祝福があるから幸せだよねエンドです。
小ネタ↓
デ「それにしても、このケーキは随分とデカいな。料理もこんなに……ここまでしなくても」
テ「以前、言っていただろう。オレ以外に誕生日を祝ってもらったことがあると」
デ「言ったか? それは、誕生日というのを聞かれたから答えたら、ペペロンチーノがささやかなケーキを用意してくれたことがあったという話のことか?」
テ「ああそうだ。初めて祝われたと」
デ「そんな大層な話じゃ……」
テ「だから、ささやかでないケーキを準備したということだ」