「月見バーガー?」
「ああ。日本では名物なんだ。ハンバーガーに目玉焼きが挟んであって……」
テスカトリポカは首を傾げて、空の方へと視線を移した。ぽっかりと丸い月が浮かんでいる。
「卵を満月に見立てているんだ。美味しいよ」
「相変わらずバーガーが好きだな」
「まぁ、今年の月見バーガーはまだだし、今日は焼きそばでも食べて帰ろうか。たこ焼きもあるだろうし」
金色の髪が目を惹く――のは、流石にお互い様だろうとデイビットも思う。とは言えあの長い髪に、夜だからサングラスは外しているものの、切れ長の蛇のような青い瞳は目立つ。道を歩いていると、たまに人が避けるように歩くのも無理はないだろう。
近くの神社で夏祭りがあると見掛けて、珍しく二人は外出した。デイビットはこれまでにイベント事に関して、積極的に興味を示さなかった。あると知れば、その日の外出は避ける、ということの方が多い。目立つからでもあるし、何となく面倒にならない方が良いだろうと判断していた為だ。それに対してテスカトリポカは、マンションの掲示板に張り出されていた夏祭りのポスターに目を止めると、すぐにショッピングモールで浴衣を購入してきた。当世の衣装に着替えて楽しむのがマナーだろう、などと言って。
『恋人同士のイベントを楽しむという理由だけではない。オマエにもいつも言っているように、ビジネスにはトレンド感が必要だ。そしてそれは、スマホで検索するだけで実感を得られるようなものではない。実地で経験する方がいいだろう』
理屈を捏ねて夏祭りに漕ぎ出したいだけだなどということはなく、本当に、商機を掴む為にも、あちこちに出掛けるべきであるとテスカトリポカは考えているのだ、とデイビットはきちんと理解していた。自分たちの間にそういった理由付けなど必要はない。単に、ただ出掛けるだけでない有益性をこちらに説いているだけのことだ。
『無論、オマエを連れて行かないと意味がないがね。前者の意味付けは重要だ』
『分かった。オレも別に異論はないよ。つまり、一挙両得ということだろう?』
『オマエはいつもよく分かっているな』
全能神であると称するデイビットの恋人は、返答に非常に満足したようであった。それで、夏の夜に、わざわざ浴衣に着替えて神社に繰り出したのである。なお全能神は、日本の神を祀る祭祀施設に赴くことには抵抗がないらしい。どうせ今日は祭り会場扱いなんだろう、と軽く言っていた。
そして、確かに浴衣は二着用意されていたのだが、その着方まではまるで知らないと言うので、デイビットが動画を検索して、自分と彼の分とを着付けしたのであった。ミクトランパであれば一瞬で着替えができる、などとテスカトリポカはいつものように言うが、ここはミクトランパではなく現代日本である。そのようなことを言っても仕方がないのだ。そもそもこれが質の良い浴衣であることは一目瞭然なのだが――また勝手に口座から金を使っているのではないか、そもそも事業資金とかあるのか、とデイビットは心配していたのだった。
橋を渡って川を越えた先に目当ての会場がある。そこまでの道行きで目に入った看板の季節限定メニューについての話をしたところで目的地には到着した。もう日の落ちた時間帯であるが、人影は非常に多い。大小様々だ。集団で明るい声を響かせる者、手を繋ぐ二人組、肩に担がれた子供――。
「デイビット、アレは?」
「アレは綿あめだな。コットンキャンディ。砂糖を糸のようにして巻き付けた甘い菓子だ」
「そっちの赤いのは?」
「キャンディーアップル。見たとおり、りんごを飴でコーティングしている菓子だな」
「オマエが好きなのは……」
「それより焼きそばでも買った方がいいんじゃないか? じゃがバターとかでもいいが」
限りなく黒に近いような濃紺の浴衣を着ているテスカトリポカは、デイビットの言葉など聞かず、手前にあったりんご飴の屋台で一本購入すると、デイビットに手渡した。棒に刺さるりんご飴は、食べ歩くのに合理的ではあるが、それは食べやすいということとイコールでは結び付かない。外側の飴は硬く、中のりんごもやわらかい果実ではないのだから。海外では、縁日や屋台で売るものではなく、ハロウィンなどでの定番の菓子であるようだし。
デイビットに生まれた国で過ごした記憶はないし、この国で父と過ごした記憶なども、あまり憶えていない。喪われゆく記憶に比べると、それは憶えていて然るべきものである筈なのに、漂白された所為で記憶も白く霞んでいるのだ。そして実感もない、薄れた記憶を縁にして生きるほど、デイビットの精神性は脆いものではない。だから別に憶えていなくとも、と考えている。
けれど、こういう光景があったような、気もする。父に手を引かれて。或いは肩に担がれて?
ガリガリとりんご飴を齧っていると、そういう食い方をするものかね、とテスカトリポカが苦笑していた。
「デイビット? 綿あめもいるか?」
「いや。まぁ、甘くて美味しいな、コレは。腹は膨れないだろうが」
テスカトリポカは満足そうに瞳を細めて笑う。縁日の屋台はどこも混雑していて、やはり帰りにハンバーガーを買って帰るのでもいいかも知れないとデイビットは思ったが、合間を縫って、たこ焼きを1パック購入することが出来た。
「タコの脚を入れた食い物、ね」
「オレも、タコなんか食うのかと思ったが、食べてみると美味しいよ。日本ではメジャーな食材なんだ」
アメリカではイカも含めてあまり食べない食材であるようだ。日本で主に育ったとは言え、父は生粋のアメリカ人であった為、デイビットも食べたことはなかったが、どちらも口にして見ると美味しい。味自体は淡泊だが、調理の仕方が良いのだろう。
ソースとマヨネーズ、そして青のりをたっぷりと掛けた一つを口に頬張る。焼き立てを貰ったので口の中が熱い。その熱さも楽しんで食すものであるようだ。
テスカトリポカはまじまじと見ているばかりなので、爪楊枝で刺して口元に運んでやると、普通に食べた。
「悪くない味だな」
「だろう?」
「もう一個」
「今度は自分で食べてくれ」
テスカトリポカの言うところによると、通常の戦争であれば、現代の知識が与えられているものであるが、今はそういった状況にはなく、勝手にやってきたので、縛りはないが知識としてはやや不足した状態にある、ということらしい。最低限の知識以外は、猫のすがたでいた頃に、パソコンなどで情報を調べたそうだ。
たこ焼きも食べ終えて、屋台を見ながらまた並んで歩く。囃子の音もスピーカーから流れていた。昼に鳴く蝉の喧騒は静まり、秋の虫の声が早くも聞こえ始めている。テスカトリポカはきょろりと周囲を見渡すと、射的の屋台を指差した。
「ああいうのはどうだ、デイビット」
「射撃が好きなのか?」
「何故かやたらと懐かしい気がするほどにね」
自信たっぷりに言うので(テスカトリポカは常に自信満々であるが)、それならとデイビットも、子供たちが集まる射的の屋台に向かった。
こういった屋台において、豪華な景品は子供を釣る為の餌であり、弾が当たろうとも倒れて景品が得られることは殆どない、といったこれらの催しへの知識がデイビットにはある。そういうのを阿漕とでも言うのか、詐欺的と言うか、或いは夢を売っているのみであると言うのか――分からないが、デイビットが射出した弾は目玉商品の一つであるゲームソフトのパッケージにぶつかり、弾だけが落ちた。
「残念でしたー! 当たっても倒れないとダメだからね」
「アァ? どういう商売だ?」
「テスカ、そういうものなんだ」
こういうものであっても連射すれば打ち落とせる筈であるが、デイビットにそこまでの熱意はない。ゲーム機も所持していないのだ。
「まぁ、やり方としてはこういう感じだ。おまえもやるのか?」
テスカトリポカは小銭を店主に支払うと、片手で銃を構えて、腕を伸ばしたまま発射した。そして、全く何にも当たらずに弾は落ちた。あんな体勢で当たったらすごいなと思ったデイビットは、思わず瞬きをした。
「おまえ……この腕前で、どうしてあれだけ自信が持てるんだ? ちゃんと的を見ているか? 狙うなら菓子くらいんしておけ」
「デイビット、弾はまだある。焦る時じゃあない」
そして彼は見事に、残る四発の弾を虚空に打ち込んだのだった。テスカトリポカの横では浴衣を着た少女が懸命に銃を撃ち、ラムネ菓子を撃ち落としていた。無論少女のような子供には大人と比べてハンディがあるが、十分な成果だろう。デイビットは思わず笑った。
「ハハ。あの子に習った方がいいんじゃないか?」
「デイビット。今のは銃が悪い。オイ、別のでもう一度やるぞ」
何度やっても変わらないだろうと思うも、面白くなってきた恋人をデイビットは止めることもせず、小銭で払うのが面倒になったのか千円札を押し付けるのを笑って見ていた。
「くまさん取れなかったよぉ」
「仕方ないでしょう。あんなに小さい的なんだから」
「やだぁ、くまさんじゃなきゃ、やだぁ」
デイビットが今にも泣きそうな声の視線の先を見ると、中高生や大人向けの目玉の景品の他に、大きなくまのぬいぐるみが子供向けの景品として上部に並んでいた。それは、撃ち落として得るものではなく、子供向けの小さな的にぶつけると景品が貰えるという仕組みらしい。しかし、これに弾を当てるのは大人でも至難の業だ。
「店主、並んでいるものを撃ち落としたら景品として貰えるんだな?」
「えぇ、勿論そうですが?」
「ならアレを貰おう」
デイビットの手元にはまだ四発が残っている。連射してもゲームソフトは倒れない――恐らく下で固定されているのだ――ことを考えて、一番良い景品はアレだなとデイビットは狙いを付けて、その眉間に向かって二発を連射した。巨大なくまのぬいぐるみが倒れて落ちる。
「……ぬ、ぬいぐるみが、落ちた……?」
「落としたからいいな? 彼女にあげてやってくれ」
「デイビット、いつからそういう慈善事業家になったんだ?」
「暇つぶしだ。狙うべき景品はなさそうだったからな。店主、五発当てても倒れないソフトは流石に度が過ぎていると思う。もう少し緩和しておくべきだと進言しよう」
「……ハ、ハハ……、お客さん、プロですか?」
「射的にプロも何もなくないか? 他に狙えそうなのは……」
お兄ちゃんありがとう、と明るい声が下から聞こえた。すみません、ありがとうございます、と母親らしき女性も頭を下げている。デイビットは首を横に振って、付き合って射的をしているだけだから景品に興味はないんだ、と答えた。
「ありがとう、綺麗な色の髪のお兄ちゃん!」
手を振る少女を見ながら、それは悪くない響きかも知れないとデイビットは思った。それに、こういうことも人が目指すべきみち、即ち善いことなのではないだろうか。
「デイビット、あっちのぬいぐるみも取ってやったらどうだ? 狙い辛い場所にある難しい獲物だ」
「……トラ? いや、豹か?」
屋台の奥の方にはデフォルメのぬいぐるみが他にも鎮座している。確かに、距離的に狙い辛い位置で、目当てとされるよりは、空間を埋めるのが目的のようだ。
「ぬいぐるみはいらないんだが」
「ネコ科のよしみだ。また子供が来たらあげてやればいいだろう」
「そういう行動は不審なだけだ。別に狙ってみるのはいいが」
そんな会話をしながらテスカトリポカが連射した弾はまた悉く外れて、それを見たデイビットはため息を落とし、近くのチョコレート菓子を打倒して、テスカトリポカが言った豹らしきぬいぐるみに視線を集中させる。テスカトリポカはジャガーを象徴とする神。確かに同じ分類群ではあるが、豹でもいいのだろうか、と思う。くまもネコ目という点では共通している。
軌道が読めれば当てることは困難ではない。デイビットは自分が撃つ前に、他の客の軌道を見て弾速を計算した。端までの速度でぬいぐるみのような物体を落とすのは困難だが、先ほど大型のぬいぐるみを倒した為に、その感覚が掴めている。デイビットが狙いを定めて右の耳の付け根に当てると、ぐらぐらと揺れたぬいぐるみはそのまま倒れた。ヒュウ、と口笛が響く。
「流石だな、デイビット。景品を持って帰るぞ」
「ぬいぐるみはいらないんだが」
「戦利品を貰わないのは野暮ってものだ」
「おまえにはないけど」
「デイビット」
「射撃が得意なのかと思ったよ。むしろ苦手だったんだな」
テスカトリポカは両肩を上げた。
幸い、そのぬいぐるみは掌に乗るサイズだったので、貰ったビニール袋に入れてしまえば目立たない。その後のことは帰って考えよう、とデイビットは諦めた。
「どうするんだ、コレを」
「夏の日の思い出というヤツさ。分かるだろう?」
「物体を残すことに意味があるという理屈が分からない」
「デイビット、今のオマエは何も忘れないと思っているんだろう?」
「そう……だろう?」
デイビットは最近の積み上げられて行く記憶を一瞬、振り返る。これまでに生きてきたよりも長く、それらは増え続けているのだ。
「ま、そのとおりだ。オマエの記憶は確かにもう消されたりはしない」
喩えようのない漠然とした不安感を見破るように、テスカトリポカはくしゃりとデイビットの頭を撫でた。
「オレが言いたいのはそういうことではない。記憶は確かに消えないし、オマエなら一度憶えたものを忘れることはないだろう。だが、言うなれば、熱ってヤツは喪われていく。その瞬間の感情、思い入れ、情熱、そういうものは、どうしたって薄れていくモノなんだよ。それをヒトに代わって憶えているのが物体だと思わないか? そうでなくば、後生大事に物体を持つ理由を説明できないと、オレは思うがね」
「神らしいことを言うんだな」
「神だからな」
デイビットは笑った。この瞬間に自分が笑った温かい感情は、ぬいぐるみが憶えていてくれるのだろうか、と考える。
考えていると頭上に花火が打ち上がる。規模の大きい花火大会ではないが、道行く人も足を止めて空を眺めている。その傍では月が静かに輝いていた。
「どうした?」
「いや、やっぱり、月見バーガーが食べたい季節だなと思って」
「本当に好きだな、ハンバーガーが、オマエ」
その頃どこかの世界の更に異なる未来のムーンドバイではテノチが諫める神不在で自由にやっていたのだった――!(ムーンドバイテノチオチ)
テノチ見てるとテスカトリポカ神って真面目な神様なんだなって思う。やっぱりテスデイは真面目×真面目カプだよ。奏章Ⅲ前編まだ読んでるので読んでから日記書きます!(テノチは来たけどそれまでに謎のヒロインは来たしBBドバイちゃんは2人も来ているよ)
月見バーガーは好きなのでいつもネタにしてます。今年も食べよう~