
その日彼と出会ったのは偶然の出来事であった。
信男は知人に無理やり連れ出される形で、来たくもない飲み会――と言う名の合コン――に来ていた。来たくもないというのは全くそのままの意味で、20歳を超えて数年経っても数えるほどしか飲み会には出たことがないし、合コンにも好んで出たことはない。異性に興味がないわけではないのだが、ガヤガヤとうるさくて、下品な会話ばかりだし、そもそも人生においてモテという言葉とは縁遠かった。明るい楽しい場所が似合うのは陽キャだけ、陰キャな自分は隅っこで大人しく飲んでいるのが関の山。その日も、そんな鬱屈とした、楽しくない気持ちで盛り上がる席を遠くに眺めているだけだった。
「なぁ、もしかして楽しめてない?」
そんな信男に声を掛けてきたのが、陽キャの極みみたいな長髪の男で、先ほどまでも全く陽気な騒ぎの中心にいた人だった。その男は平然と横に座ると、もしかして無理やり連れてこられたとか? と尋ねた。
「なんてーの?」
「……勅使河原です」
「へぇ、カッケーじゃん。俺と苗字の後ろが同じだ」
「後ろ?」
「俺は萩原ってんだ。原っぱの原、おんなじだろ、勅使河原クン」
萩原と名乗った男は、そう言ってニコッと笑った。人の警戒を解くような笑みで。何てことのない接点を、まるで運命の一つに数えてくれるようだった。何て勝手に運命を感じているのを誤魔化すように信男は首を軽く振った。
「それ、大仰な苗字で好きじゃないんですよ。できたら名前で呼んでほしいくらいで」
「んじゃ、名前は?」
「信男……です」
「信男クンな。わかった、そう呼ぶよ」
信男という名前は、キラキラとした名前も少なくはない同年代の中で、平凡で自分らしいと思って気に入っていた。しかし、どうして自分のような地味で、平凡な男を、晴れやかな陽キャが気にするのだろうか、と思っていると、「せっかく酒飲むんだから楽しまねぇと」と萩原は言った。
「だからあんま無理に数合わせで連れてくんなよって言ったのに。ま、今日の合コンなんかついでだけどさ」
「ついで?」
「そ。ほら、あっちにいるヤツ知ってる? 海原ってヤツ。アイツが好きなコが、月見里ちゃん。あっちの子。あの2人をうまーく引き合わせるために合コンって名目で飲みやってるってワケだ。聞いてた?」
信男は首を横に振った。
「ハハ。まぁ知んないヤツも多いだろうけど」
「あなたも、そんなのに付き合ってるんですか?」
「んーまぁ、ダチだしな。俺は女の子の頭数集め、海原には自分で男の方集めろよって言ったんだ。そんでこんなカンジ」
「優しいんですね」
(チャラそうなのに)
そう言うと萩原は目を丸くして、それから笑った。
「アハハ、信男くんはそんなふうに言ってくれんだ。サンキュー。陣平ちゃんには、それダシにして女と飲みたいだけだろって言われちまったんだけど」
あ、陣平ちゃんてのは俺のダチなんだけどさ、と萩原は補足した。
「俺の親友。まぁそれも間違ってねぇからなぁ。あ、でも飲みに来て楽しんでないんじゃもったいねぇだろ」
萩原はふと信男の手元のスマホのシールを見て、「それ鉄道のマーク?」と尋ねた。
「えぇ。知ってるんですか?」
「詳しくはねぇんだけど、前に付き合ってたコが鉄道好きって言ってて、そういうの見たことあっからさ」
(付き合ってた子、か)
チャラそうだし、やっぱり色々な種類の女の子と付き合ったことがあるんだろうなとぼんやり思う。
「好きなの、鉄道?」
「オタクみたいなものですよ」
「そうなんだ。いいじゃん。電車カッケーもんな。俺は車とバイクが好きな方だけどさ、いいよな、俺も乗り物好きだよ。なーんて知ったふうに言うと悪いかな、電車とか乗り物とか一括りに言っちまうのはさ」
「いや、そんなことはないよ」
知ったかぶって言うわけでもなく、素直にそう言ってくれるのはむしろ好ましい人だなと思った。
「お気に入りの電車は?」
「そういうのは話し始めると長くなるよ」
「いいよ、俺はオタク気質の喋りってのに慣れてんだ。陣平ちゃんも結構そういうとこあっから」
「萩原さんって、いい人なんだね」
「そう?」
萩原はさらりと髪を掻き上げて、にこりと笑った。そういう仕草が様になるイケメンだなと思う。
(でも笑ってるとちょっと可愛いカンジかも……)
そんなことをふと思って信男は首を横に振った。あまりにも女の子と縁がなさすぎて、可愛いの基準がバグってしまっているのかも知れない。
そしてその日、信男は端の席でしばらく萩原との会話を楽しんでいた。そのうち、「萩原くん私たちとも話そうよ」と腕を引っ張られて、ごめん、と彼は両手を合わせて女の子に連れられていった。そうしてそのまま戻ってくることはなく、信男はまた1人で酒を飲むだけだったのだが、最初に感じていたような嫌な気持ちはなくなっていた。
そして、自分と話したことなんてすっかり忘れられただろうと思っていた帰り道、「信男くん、LINEやってたら交換しようぜ」と萩原は信男の腕を掴んで話し掛けた。
「次会う時はそのマークのこと教えてくれよな」
と、笑って。
そういう言葉が、陽キャの気さくで明るく優しい男のリップサービスであるということくらいは信男にもわかるのだが、もう一度だけでもいいから会って話がしたいと思っていたので、帰ってから貰ったLINEに即行で『今度2人で食事でも』と送ってしまった。
(我ながら行動力が高かったな……)
陰キャの分際で陽キャの男を誘うだなんて烏滸がましすぎたかも知れない。実際、相手が女の子だったらこんなことはできなかっただろう。
(でも萩原さんなら)
彼ならば、たとえ陽キャだからと言ってもそんなふうには思わないのではないか、と思う。
事実彼からは、ややあってからではあるが、快諾の返事が届いた。のんびりとした返信までの時間については『LINEの返信いつも遅いって陣平ちゃんに文句言われる』とのことだった。
*
陰キャだし、オタクだし、と、よくわからないが卑下する言い方をする知り合いは意外と少なくない。喋るのが苦手ということなのか、ハードルをとりあえず下げたいだけなのか、喋るのが好きな萩原にはとんとわからないが、少なくとも、行動力がないという意味は含まれなかったらしい、と思う。
合コンで知り合って食事に誘われて、相手が女の子であれば、萩原もいつものパターン(どちらかと言えば自分が誘う方が多いが)だなと思うが、相手が男となると話は別だ。まぁしかし、同性から懐かれた例も別に少なくはない。大学生の時には夏休みの間だけと頼まれて引き受けた家庭教師のバイトで教えてやっていた男子中学生からまたえらく懐かれて、『大学生になったら俺と遊んでください』とかバイトの最終日に手を握って言われたこともある。あれはもう5年くらい前で、もしかするとこの春には連絡が来たりするかも知れないし、もう忘れているかも知れない。いや、結構マメにインスタでいいねしてくれているので忘れていないと思うが。
ともあれ男でも懐かれたなと思う例は、ままある。その最たるものが、もしかするとあの親友なのかも知れないが。それを通り越して、2回目に行った食事で、わざわざ店を調べてあったり、ハヤリの映画のチケットまで用意されているなぁと思っていたら告られたのは流石に萩原も驚いた。かなりキョトンとした。女の子ならともかく、ヤローが突然に? と驚いたのである。
(イヤってこともねぇけど)
信男は優しいし、実にいいヤツだった。陰気だとか陰キャだとか自称しているが、やたらと饒舌になるのが好みの話題であるという面はたしかにあるけれど、それほど大人しいというわけでもないし、普通に話せて、顔も普通にいいし、普通にモテそうな男に萩原には見えた。恋愛に関しては、付き合ったことがないと本人が言っていたことから推測するに、ただ経験値が少ないというだけなので、多分上手くやれば次の合コン辺りで意気投合した子とそのままくっつきそうな気がする。多分、それが萩原だと向こうは大いに誤解したのだろうが。
うーん、と萩原は考える。そうだろうとしても、決して彼の真摯な感情を無碍にしたいわけではなかった。その気持ちを真っ向から否定したいというわけでもない。顔もいいし、話を聞いているのは楽しいし、たまには気分を変えて男と付き合うってこともあるのかも? とも思った。最近は恋人もいないので、淋しいということもないが、気分を変えるのも悪いことではないのかも知れない。仮にそれで彼が、やっぱり違うと気づいたところで、それほど萩原にデメリットはない。別れたらそのままサヨナラしないといけないわけではないし、その後は、普通に友人として仲良くなれればそれでいいだけのことだ。手酷い別れを経験したわけでもなければ、元カノとも萩原は普通に連絡を取り合う方である。
といったことを道々考えながら、萩原が寮の部屋に戻ると、ドアを開けた瞬間、「さっきお前といた男誰だ」と部屋にいた親友にガッと両方の肩を掴まれた。
「うわッ、何、陣平ちゃん? 帰ってきたら急に部屋にいたら驚くだろ」
彼は部屋の合鍵を持っているので部屋にいるはずがないということもないが、普段不在の部屋に入って待ち伏せているようなことはないので萩原も驚いた。
「誰だ」
「えー……こないだ合コンで知り合ったヤツだよ」
「ハァ? お前、男まで引っ掛けてくんのか?」
「引っ掛けって……そういうんじゃねぇけど」
でも結果的にそうなっていることはたしかに事実だ、と思う。そういうつもりは少しもなかったのに。
別に他意はなかったのだ。ただ、飲みの席で居心地悪そうにしている人がいると、萩原は気になるというだけだ。お酒飲んで楽しくなれないなんて、男なら奢りでもないだろうし、なんかもったいないな、と思ってしまう。それで話し掛けた。乗り物が好きなのは事実だし、鉄道だって全然嫌いじゃあない。楽しそうに話していたので、あぁ良かったな、という気持ちで、ついでにいつものように知り合った相手とはLINE交換しとこうと思っただけだ。LINE自体は、ちまちま打つのが面倒でさほど好きではないので、気に入った女の子くらいにしかマメに送ったりしない。
「そうでもない男がお前の手握るのかよ」
「や、あれは、まぁ、告られて……」
「ハァァ?」
「ってかどこで見てたの、陣平ちゃん?」
「どうでもいいだろ、街でたまたまお前らを見ただけだ」
「いやどういう偶然だよ。別に何だっていいじゃん、陣平ちゃんには関係ねぇから」
ほら手放せ、と萩原は松田の腕を軽く叩いた。
「何か心配してんの? 平気だって。別に信男くんと付き合ったって、陣平ちゃんが親友であることに代わりはねぇんだから」
「付き合う気あんのかよ!」
「え、や、今のは言葉の綾みたいなもんじゃん」
「つか何あんなの名前で呼んでんだよ! あんなザコ男!」
「いやそれは名前の方がいいって言われて」
何か知らないが松田を怒らせたらしいなと萩原は焦った。この親友は、偉そうな上に結構怒りっぽいし、なぜかやたらと上から目線だし、とかく厄介な男なのだ。顔の良さだけでカバーできる範囲はそう広くはないんだからなと萩原はよく思っているが、萩原が全体それでいいというふうにしているので永遠にこのままである。実際、顔が良くて強くてめちゃくちゃイケてる男なので萩原は全くこの男のことがそのままで好きだ。
(変なポジション争いとかされても困る)
仮に、仮定として、本当に信男と付き合うことになったとしても、「コイツが俺の親友の陣平ちゃんだよ!」と紹介するくらいの気持ちで萩原はいる。ポジション争いなんてしなくても、松田以上の親友なんてどこにもいやしないのだ。親友に以上とか以下とかそういう格付けがあるのかどうか知らないが。
車の方が好きだと萩原が言ったから、信男は車のことも勉強してきてくれた。普段自分がする側だったことをされてみて、大事にされているのかと思うと、そういう扱いをされるのもいいものなのかな、とは思った。それは気の迷いだと言われればそうだし、気の迷いも何もそもそもそんなに重大な意味を込めて付き合ったことは萩原には特にない。告られてその時フリーなら付き合ってみていいかなぁと思うとか、そういうだけだ。
「俺よりその男の方が好きなのか、萩」
「だから陣平ちゃんよりとか、そういうのはねぇんだって。大体、俺が誰と付き合ったって、俺の自由なんだから、お前には関係ねぇだろ」
「あるに決まってんだろ!」
松田は何の躊躇もなく、そして何ら迷うこともなくそう言い切った。
「俺より好きなのかよ」
なぁ、どうなんだ、とドアを背に追い詰められて、真っ直ぐに瞳を見つめられてそんなことを言われてしまうと、萩原はすっかり言葉が出てこない。松田より好きだから付き合おうと思うだとか、そういう順位付けをしたつもりも、今後するつもりも一切ないのに。そう言われてしまうと、お前より好きな人なんてこの世界のどこにもいないよ、という気持ちにさせられてしまうのだ。しかもそれは多分事実だ。
萩原が首を横に振ると、あれだけ偉そうにしていた松田は、酷く安心したように瞳を細めてやわらかい表情を浮かべた。イケメンの思わぬ甘い表情に萩原がときめいていると、まるでそうするのが至極当然であるかのように松田は唇を重ねたのだ。よくわからないが、彼の中ではおそらく、付き合おうと考えた男より俺の方が上なのでそれは当然俺と付き合う流れになったな、ということであるらしい。
(よく、わかんねぇけど)
でも少しも嫌だとは思わなかった。萩原は全く目の前の男のことが好きなので、そうしたいと言われれば、それが最良だとそう思うのだ。
(まぁ、そのうち落ち着くんだろうな……)
信男にしても、松田にしても、まぁそういう気の迷いは誰にでもよくあることなんだろうなと思う。だから、まぁ、いいか、と。キスくらい別に初めてでもないしな、と思った。
そして、気の迷いにしてはやたらに長く甘い口づけの後、そのまま至極当然のようにその晩萩原は抱かれて全然気の迷いでも何でもないことを思い知らされ、次の休みの日には引き摺られるようにして信男に会いに行き「コイツは俺のだから二度と手を出すな」と隣で松田が言ってのけるので「ごめん何かホントごめん」と心から謝ることになるのだった。
松と萩だとBSS(僕が先に好きになったのに)よりは相手側に『僕が先に好きになったと思うんだけど……(なのに元の男に取られた……)』させてきそうだなっていう説明のために書いたんですけど、とんだ地雷男だな萩原くんも。(でも話の3回に1回は陣平ちゃんが出てくる時点でかなり地雷なんだよな)