私の大好きな陣ちゃん

 萩原研子は誰からも好かれる明るくて可愛くて優しい良い子だった。
 ふわふわの茶味がかった長い髪を靡かせて――いつも、『陣ちゃん、陣ちゃん』と腕に抱き着いていた。惚れっぽくて、男と付き合ってはすぐに別れて泣き付いてきた。また別れたの? もうそういうのやめたら、と呆れて言っても首をブンブンと横に振って、『でもいいの、私には陣ちゃんがいるんだから』と笑った。
『私はずーっと陣ちゃんと一緒にいるんだから』
 そう言っていたのに、一緒に警察官になってほんの1年足らずで、事件に巻き込まれて呆気なく死んでしまった。
 ずっと傍にいたのに。何も、彼女にしてやれなかった。

 ▽▽▽

 私の大好きな陣ちゃんは、強くて格好良くて、ちょっと偉そうで、ちょーっとだけ怒りっぽいところがあるけど、でもとっても優しい。肩までの夜の闇みたいに黒くてサラサラの髪を靡かせながら「アンタもう男と付き合うのやめな、すぐ別れるんだから」と、いつも呆れたように言っていた。
 陣ちゃんはとっても優しい。暑苦しい、やかましい、とよく言うのに、私が腕に抱き着いても怒ったりしたことは一度もない。陣ちゃんが、男なんかに負けられないからと言って警察官になるって言った時に、「私もじゃあ一緒に警察官になる」と言ったら、「アンタに全然向いてないでしょ」と言ったけれど、「まぁ横にいたらアンタも守ってやれるからいいけど」と頼もしく言ってくれた。
 陣ちゃんは合気道を習っていて、よっぽど屈強な人じゃなければ、男の子相手だって負けたりしない。陣ちゃんがあんまり強気だから、私はよく、女の癖に、と襲い掛かってくる男の子を返り討ちにする陣ちゃんの姿を見ていた。
 強くて、カッコよくて、大好きな陣ちゃん。
 私が死んで、陣ちゃんは部屋から出てこなくなってしまった。真っ暗な部屋で布団をずっと被って、食事も、水も、ほとんど取ろうとしなかった。見かねた私のお兄ちゃんが心配して「お前がそんなことになっていると知ったら妹は悲しむだけだ」と言ってくれたけれど、本当にそうなんだけど、陣ちゃんは、結局部屋から出てこなかった。
 早くに死んだ私は、これまでにたくさんの人に親切にしてきたので、死んだ後にひとつだけ望みを叶えてあげる、と優しい神様に言ってもらえた。
「私は陣ちゃんに立ち直ってもらいたい。私の願いは陣ちゃんのことだけだよ」
「そうですか。あなたの望みはないんですね」
「何にもない。陣ちゃんだけ。陣ちゃんにもう一度会って、ちゃんとご飯食べないとだめだよって言いたいの。ちゃんと……」
「わかりました。では、あなたを彼女の元に送りましょう。早く彼女が立ち直るといいですね」
 神様は優しくそう言ってくれて、私は陣ちゃんの真っ暗な部屋に降り立った。
「ねえ私、天使になって会いに来たよ、陣ちゃん」
 実際に神様が私を天使と呼んだわけではないけど、何となく、幽霊よりはそっちの方がいいかなと思って私はそう言った。
「萩、本当に萩なの?」
「うん、そうだよ。陣ちゃんは私のことを見間違ったりしないでしょ?」
 ずっと昔、2人でディズニーランドに行った時に、日が落ちて真っ暗になって、きらきらのパレードを目の前に、繋いでいた手を放してしまった私と陣ちゃんがはぐれてしまったことがある。私はただ、おろおろと辺りを見回しているだけで、きらきら明るいパレードを横に見て、星のない暗い空を見上げて『陣ちゃん、どこ?』と目に涙を貯めて呟いた。そんな私の手を陣ちゃんは真っ直ぐに見つけ出してくれて、『手放さないでよ、バカ』と手を握って言ってくれた。
『どうやって見つけたの?』
『アンタ、バカみたいに目立つんだからわかるわよ。どこにいたって、見間違ったりしない』
 布団から出てきた陣ちゃんはぎゅっと私を抱き締めて、髪を撫でた。すっかり痩せて細くなってしまった腕を見て、私は、自分が死んでしまったことを初めて悲しんだ。こんなふうに傷つけてしまったことを。
「ごめんね、私の所為で」
「バカ。アンタは何にも悪くないでしょ。バカ」
 もうどこにも行かないで、とか細い声で陣ちゃんは言った。けれどその言葉に、もうどこにも行かないよ、と言ってあげることは私にはできなかった。

 私が帰ってきたことで、陣ちゃんはみるみる元気になった。ちゃんと部屋を出て、お風呂にも入って、ボサボサの髪にショックを受けたり、ボロボロの肌を見て大きなため息を零したりした。
 大好きなチョコレートをたくさん食べて、ちょっぴりサラダを食べて、甘い炭酸水を飲んで、燦燦と輝く太陽の光を浴びて、活力をいっぱい取り込んだ。
「私、探すわよ。アンタのこと、こんなふうにした犯人。そんで、ぶっ殺してやるから」
「殺さなくていいよぉ、陣ちゃん」
 でも嬉しいな、と私は陣ちゃんの腕に、いつものように抱き着いた。私のことが見えるのは陣ちゃんだけで、私が触ることができるのも陣ちゃんだけで、私の世界に存在しているのはもうほとんど陣ちゃんだけになってしまった。
 夜、涙と疲労でぐっすりと陣ちゃんが眠ってしまってから、私は神様と話をした。もう少しここにいたい。だってまだ、陣ちゃんのことが心配だから、と。
「ええ、あなたが必要だと思う限りはそこにいて構いませんよ」
「いいの? 本当に?」
「すぐに戻らせてしまうのでは、あなたの望みは叶わないでしょう?」
 神様はとっても優しくて、私は喜んで部屋に戻って、寝ている陣ちゃんの顔を、日が当たって目が覚めるまでずっと見ていた。
「陣ちゃん大丈夫。私、陣ちゃんが元気になるまでここにいるからね」
 私が来てから、陣ちゃんは休職状態になっていた仕事に戻って、一生懸命働くようになった。仕事が終わると遅くまで私が死んだ事件のことを調べてくれて、私が心配しても「大丈夫よ、萩。むしろ私今とっても元気だから」と言った。本当に、陣ちゃんはすっかり元気になったみたいだった。
 昔から陣ちゃんは、目標を掲げるとそれに向かって全力疾走する子だ。今の目標は、私が死ぬことになってしまった原因を作った犯人を見つけ出すことで、それをやり遂げるまできっと、陣ちゃんは走り続けられるんだろう。
「ねぇ萩。アンタ、夜のうちにふっと消えちゃったりしない?」
 ある夜ふと陣ちゃんはそう尋ねた。
「どうしてそんなふうに思うの?」
「わからない。でも、心配で……」
「大丈夫、ちゃんとここにいるよ、陣ちゃん」
 私は安心させるように、ベッドに眠る陣ちゃんの手を両手で握り締めた。
「どこにも行かないでよ」
「うん」
「もう置いていかないで」
「……うん」
 おやすみ、陣ちゃん、と握り締めた手に頬をすり寄せた。
 どこにも行かないと言ったわけじゃない。嘘を吐いたわけじゃない。陣ちゃんだってそれをわかっているはずだ。私はもう死んでしまっているんだから。いつかは必ず終わりが来る。きっと。その時を、どうやって私たちは迎えたらいいのだろう。
 犯人なんて見付からなくたっていい。むしろ、永遠に見付からない方がいいんじゃないかと私は思った。今の陣ちゃんからその目標がなくなってしまったら、次はどうなるんだろう。暗い部屋に閉じこもる陣ちゃんを私はもう見たくない。見たくないよ……。
 その日、陣ちゃんが眠ってから私は久々に、死んでから見た景色を見ていた。ここがどこなのかは本当はわからない。死んだ後に行く世界なんだろうかと、川べりを歩いていると、知らない男の人と出会った。目が合った瞬間に、それは『私』だとわかった。きっとそこで出会うことができるのは『私』だけなんだ。
「『君』も死んだの?」
「うん、そうなの。『あなた』も爆弾に巻き込まれて死んだの?」
「うん。俺もそうだよ」
「そうなんだ。……ご愁傷様です」
「君もね」
 そう言って笑った『私』は、結構イケメンで、男でもイケメンで良かった、と私は思った。
 私は『私』の隣に腰掛けた。
「君はこのあたりで何してるの?」
「私は陣ちゃんのところにいたんだけど、気が付いたらここにいて……」
「『陣ちゃん』って、君の親友?」
「うん、そう」
「俺にも『陣平ちゃん』って親友がいるんだ」
「じゃあ同じだね」
 私は自分が死んですっかりふさぎ込んでしまった陣ちゃんの話を『私』にした。もしかすると、『私』もそんなことは知っているのかもしれないけれど。『私』は、陣平ちゃんはそんなにふさぎ込んではいないよ、と言った。
「ここに花が降るだけで」
「花が?」
「そうだよ。白い花が。きっとまた降ってくる」
 『私』が言うとおり、彼の頭上には白い花が舞い降りてきた。花びらや、花が丸ごと落ちてきたり、白い葉がひらりひらりと舞っていたりして、とても綺麗だ。その中で、『私』だけずっと、淋しそうな顔をしていた。
「死んだ人のことを思い出すと、その人の頭上に花が降ってくる」
 私はその話の途中で目を覚まして、気が付くと朝が訪れていた。私はちゃんと陣ちゃんが目覚める前に戻ってこられていて良かったと胸を撫で下ろした。
「陣ちゃん」
 眠る手のひらにキスして、私はまた、目覚ましが鳴って陣ちゃんが目覚めるのをもう少し待った。

 陣ちゃんの犯人捜しは順調じゃなかった。これといった手掛かりもなくずっと行き詰っていて、陣ちゃんはいつもテーブルの前でうんうんと唸っている。
「陣ちゃん、ちゃんと休んでね」
「休んでるわよ。アンタも心配性ね」
 隣に座っている私に陣ちゃんはコトンと凭れかかった。
「疲れた」
「お茶飲んで休もう? 私が淹れてきてあげる。そうだ、こないだ買った新商品のチョコも食べようよ」
「ううん、いいの。このままでいて」
 陣ちゃんの温もりを感じながら、私はずっとこのままこうして陣ちゃんの傍にいてあげられたら、と思った。でも、神様だって、そこまでの願いは聞いてくれないんだろう。
 こないだコンビニで見た新商品のチョコは、いちごティラミス味で、私はいちごもティラミスも大好きだから、絶対に食べたいと言って買ってもらったけれど、私にはいちごティラミスのチョコは食べられなかった。きっともう大好きだったタピオカミルクティーも飲めない。スタバの新しいフラペチーノも飲めないんだ。
 私には温度がなくて、もう陣ちゃんを温めてあげることもできない。
 それでも陣ちゃんは温度のない私の手をずっと離そうとしなかった。仕事の時も、私がどこかに行くとすぐに探しにやってくる。寝ている時でさえ、夜中にふと起きると私の姿を探していた。
 私が、またあの三途の川のような不思議な川べりに立って、もうひとりの『私』と少しだけ話をして戻ってくると、泣き腫らした目で待ち構えていて、私は慌ててしまった。実はたまに別の場所に行っていることがあってね、と私は陣ちゃんに説明した。
「そこでは男の『私』がいるの」
「何それ。変なの。変な萩」
 どこにも行っちゃだめだよと言って、陣ちゃんは私を抱き締めたまま眠りについた。それからしばらく、私を抱き枕にしていなければ陣ちゃんは寝られなくなってしまった。昼も、夜も、ずっと私の姿を探していた。
 私がここにいると、陣ちゃんは現実に戻れなくなってしまうのかも知れない。私はずっとそれを恐れていた。私たちが離れ離れになってしまうことは怖いけれど、それよりずっと、私の手を握ったまま陣ちゃんがここで生きていくことができなくなってしまうことの方が、恐ろしいことだと思っていた。私がここにいる限り――この色も温度もない夢を、ここで陣ちゃんはずっと見続けているんだろうか。でもあの泣き腫らした目をもう私は見たくない。
 あの川で私は、何人もの『私』の話を、出会った男の『私』とした。『私』が教えてくれたことによると、『私』たちはみんな死んでいて、みんな、私にとっての陣ちゃんのような心残りを抱えているらしい。突然死んで何の心残りもない人生の方が珍しいと思うけれど。みんなみんな、陣ちゃんを悲しませてしまったことを悔やんでいた。
 『私』たちはみんな、陣ちゃんと出会って陣ちゃんと警察官になって、同じように死んでいった。
「もしかすると、私と陣ちゃんが出会ったから、『私』たちは陣ちゃんを悲しませてしまうのかな」
 私がそう言うと『私』は驚いた顔をした。
「そうじゃないといいなって俺は思う」
「うん、そうだね」
 けどきっとそうなんだと思った。『私』と陣ちゃんが出会うから、『私』は、死ぬんだ。
「でも私は陣ちゃんと出会わなければ良かったなんて思いたくないから」
 陣ちゃんがよく眠ったのを見届けて、私はまた神様と話した。
「もしも今からでも願いを変えることはできる?」
「もちろんです。あなたの望みを叶えるためにそうした方が良いのであれば」
 神様はやっぱり優しくそう言ってくれて、このまま陣ちゃんが私を忘れてくれた方がいいのかな、と私は呟いた。
「でもそんなの私は嫌だよ……陣ちゃんが悲しくても、辛くても、私のこと忘れてほしくない。私ってワガママだね」
「そのようなことはありませんよ。きっと、あなたの言葉を知ったら、彼女も喜ぶでしょうね」
 けれど、陣ちゃんは少しも現実に目を向けることはなくなってしまった。もう誰に話しかけられてもほとんどまともに聞かなくなって、仕事以外では、部屋の中で私と話すだけになってしまった。暗い部屋で布団を被って引きこもっている時と変わらないように。
「どこにも行かないで、萩。ずっと私の傍にいて」
 そう言って抱き締められる度に、心が苦しくなった。布団を被って見る夢も、こんな無色の夢も、きっと何も変わらないのだと私はわかってしまった。
「神様、私の願いを変えてください。陣ちゃんがどうか全部私のことを忘れられるように――」
「わかりました。あなたの願いを聞き届けましょう」
 神様は優しくそう言った。
「だからどうか泣かないで」
 私はずっと涙を流し続けながら、大好きな陣ちゃんを見ていた。
「さようなら、陣ちゃん。私の大好きな陣ちゃん」
 最後にふれようと伸ばした指先は陣ちゃんを素通りした。もう、陣ちゃんから私は見えなくなってしまった。
 私はそこで泣きじゃくって、泣きじゃくって、いつか朝日が昇り、目を覚ました陣ちゃんは私のことをみんな忘れて、目の前で水分が枯れ果てるくらいに泣いた私のことなんて見えないのにそこでぽろぽろと涙を零した。
「神様、どうして陣ちゃんは泣いているの? 私のことはもう、忘れたのに……」
「人は大切な物を喪うと悲しいでしょう? たとえ忘れていたとしても、彼女にとっては、これは悲しいことなんですよ」
「ごめんね……陣ちゃん……」
 私は涙を流し続けた。止まない雨のように。
「私はもう消えてなくなってしまいたいよ」
「彼女が全部忘れたら、あなたもその時に消えるでしょうね」
 私はあの川の傍を少しだけ歩いた。もうひとりの『私』はどこにもいなくて、そこで蹲ってじっとしていると、いつか身体が透明になっていくのがわかった。水に溶けて、そのまま消えようと思って、私が川の中に入ると、水面に、白い花がひらりと上から落ちてくるのが映った。あの時、『私』に降り注いだ花のように、ひらひらと。

 ▽▽▽

 目が覚めた時、私は何もかもがあやふやだった。ぱちりと開いた目に映ったのは、すっかりやつれたような陣ちゃんの顔だけで、「良かった、やっと目を覚ました」と言って涙に濡れた彼女の頬を拭おうと指を伸ばした。身体がしっかり動かなくて、その上何もわからなくて、ただ何とかその涙を拭うと、陣ちゃんは私をぎゅうっと抱き締めた。
 私は爆発に巻き込まれて、全身を強く打ち、頭も打ち付けてしまって意識不明、脚なんかほとんど動かせない状態だった。陣ちゃんのことも最初は誰だかわからなくて、「ごめんなさい、私、何も覚えてないの」と言うと、「平気よ、私が全部覚えてるもの」と、陣ちゃんは言った。
「あなたは誰?」
「親友よ。あなたのたったひとりの親友」
 それから陣ちゃんは私にたくさんの思い出を語ってくれた。初めて出会った日のこと、ふたりでディズニーランドに行ってはぐれたこと、高校の時にスカーフを交換したことを。
「アンタはべたべたする癖にいっつも軽くって軽くって、陣ちゃんが私のお姉ちゃんになってくれたら一番いいのにって言ったのに、翌日には、別の先輩の妹になるって言ったのよ」
「そうなんだ。薄情だね?」
「でしょう? アンタのことよ?」
「そうなんだ……」
 私が陣ちゃんのことをみんな思い出すまでには随分と時間が掛かった。記憶には常にミルク色の靄が掛かっていて、それをひとつ陣ちゃんに聞くたびに何とかしてひとつずつ取り出して、私はそれを確認していくのだった。その時陣ちゃんはちっとも怒ったり、焦らせたりなんてしなくて、全部思い出した私は、あの短気な陣ちゃんがあんなに根気強く、と、じーんと感動してしまった。やっぱり私の陣ちゃんは優しい。
「あ、陣ちゃん、桜の花が咲いてる」
「そうね。もうそんな季節か」
 私の脚はまだ自由に動かないので、陣ちゃんは私の車椅子を押して、桜の木のところまで連れて行ってくれた。
「ねぇ私の脚、元通りになるかな」
「なるわよ。アンタがちゃんとリハビリすれば」
「うーん頑張る……」
「頑張ってくれないと困るわよ。私今ひとりで仕事してるんだから」
 それは陣ちゃんが他の子のこと突っ撥ねるからなんだけど。
 このまま脚が動かなければ、私は警察官には戻れなくなってしまう。だからちゃんとリハビリをして、それでも多分すぐには元の職場には戻れなくて、多分、総務課とか、そういうところに一度は移ることになるんじゃないかと上司は言っていた。優しいお医者様は、歩く練習をきちんとすればちゃんと歩けるようになるよと仰ってくれた。
 ひらひらと桜の花びらが落ちてくる。私は陣ちゃんに「死んだ人のことを思い出すとその人の頭の上には花が降るんだって」と言った。
「何、それ。縁起悪いわよ。アンタ死に掛けたの覚えてる?」
「全然覚えてないよ」
 陣ちゃんは大きく大きくため息を吐いた。私は軽い気持ちで言ったわけじゃなくて、本当に覚えてないからそう言っただけだ。爆発に巻き込まれたことも、何も、ちっとも覚えてない。
 混濁した私の意識はもう永遠に戻らないかも知れないとお医者様に言われて、私の明るい家族だって、みんなすっかり落ち込んでしまったそうだ。それでも陣ちゃんは、生きてるんだから大丈夫、絶対にあの子は目を覚ます、と言っていたとお兄ちゃんが教えてくれた。
『それに毎日お前に会いに来てたよ。休みの日なんて、許可貰って泊まり掛けたりしてな』
 ねぇ、陣ちゃん。
「そんなことより、アンタ、桜の花びら捕まえるの好きだったでしょ。そっちの方がいいじゃない」
「捕まえられるかなぁ」
「そういや下手だったわよね」
 事故のことも、それからのことも、よく覚えていない。覚えてないけど、夢の中で神様が言っていた。
『彼女があなたをどうしても忘れないから、あなたの望みを叶える方法は、もうこれしかないでしょうね』
 幸せに、と。その言葉の意味はわからなかったけれど、祝福の言葉を受け取ったような気が、私はした。夢だったのかも知れない。白昼夢かな。
 私は手を伸ばして桜の花びらを捕まえようとしたけれど、寸前でひらりと躱すように、逃げられてしまった。やっぱり難しいかなと思っていると、陣ちゃんは笑って、もう捕まってるじゃないの、と私の頭に手を伸ばした。
「ほら」
 2枚の花びらが陣ちゃんの手の上に乗っていた。忘れないよ、と言ってくれているみたいだと、私は思った。


「楽園の花、永遠の海」が書き始めたのが1月で、ええ~って感じです。ええ~そんなに~?? 文字数が多いと、掛かる時間は加速度的に増えるわけですね、グラフで書くと比例じゃないんですよ。多分。
この女体化バージョンは3月に書いてました。あれから2カ月経って本筋が完成したとは感慨深いことですね。

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