テスカトリポカがぱちりと目を開くと、横にいた筈の影は忽然と消えていた。むくりと起き上がり、長い髪を掻き上げる。
「どこ行ったんだ、アイツは」
隣を触ってみても、殆ど温もりが残っていない。となると、デイビットがここを出たのはもう1時間以上は前になるのかも知れない。テスカトリポカはため息を落としながら、その気配を探る。デイビットの気配は海岸の方にあった。
そこに、服を身に付けてから、テスカトリポカは瞬時に移動した。
「何をやっているんだ、デイビット」
「おはよう、テスカトリポカ。見てのとおり、海岸を歩いていた」
「You walk along the shore so early in the morning?」
「I thought you would say that.」
「何で何も言わずに出て行くんだ、オマエは」
「だって寝てただろう?」
悪気も何もなさそうにデイビットは首を傾げる。
「よく寝ていたし、起こすと悪いから。別に付き合って欲しかった訳じゃないし」
「……オマエ、海見てるの好きだよな」
「うん。寄せて返すのを見てるのが好きだよ。朝の海は特にいいと思う」
シャツ1枚のラフな姿のデイビットは、のんびりと笑う。
彼の言ったとおり、デイビットに他意はないのだ。隣で眠るテスカトリポカよりも早く目が覚めて、海岸を散策しようと考えて、寝ている神を起こすのは悪いからと一人でそっと出てきた。
(だがな)
テスカトリポカとデイビットは、現在、恋人同士である。隣で寝ていたというのもその為であって、要は昨晩もセックスしてそれから2人で寝たのだ。
寝る前にはデイビットを抱き締めて寝ても、朝になるとするりと離れていることもあって、それは別に構わないとはテスカトリポカも思う。それは寝相の問題だ。そうだが、朝目が覚めたら、可愛い恋人の顔が一番に飛び込んでくる――みたいなのが、素晴らしい恋人的なシチュエーションというものなのではないか、と、テスカトリポカは思うワケだ。
起きたら抱いていた男がいなくなり一人で寝ていたなんて、楽しくも何ともない。
それに、ベッドからデイビットがいなくなっているのを見ると、何となしに思い出すのである。朝彼が消えていて、心臓の奥がすっと冷たくなった時のことを。
そして、今更ながら、突然消えたら驚くと言っただろうが、と思う。それを思い返してみる。今のデイビットにはここを出る理由などはないし、彼が言ったように、テスカトリポカに感知されずに消えることは出来ない。だから、そういう誤解を与える心配はないのだとデイビットは考えているのだろう。だが。
薄情なんだアイツは、と一瞬思って、やはりそのようなことは微塵もデイビットは考えていないのだ、とも思う。どうせ朝起きて一番に見る顔は自分なのだから。それが散歩を終えた後のデイビットでも、腕の中にいるのでも同じ。
ああそうだ、確かにそうだ。
朝起きたらちゃんと腕の中にいろよ、などと考えるのは、単なる人の我儘に過ぎない。オレをちゃんと起こせと言うのも違う。テスカトリポカは頭を振った。
「テスカ?」
「――何でもない。朝メシはどうする?」
「今日はパンケーキがいい」
「了解した。7段のパンケーキでも作ってやろう」
「ならホイップクリームとチョコレートソースもたっぷりいるな」
「おーおー、たっぷり掛けて食え」
*
デイビットは、時折夢を見ているような気持ちになることがある。
ミクトランパは死者のいる場所。死の国。ともすれば、死んだ人が見る夢――。そういう場所に由来する感情ではない。ただ。
(神様に――)
愛されているのだということが、夢のようにしか思えない瞬間がある。
昨晩も抱かれたのに。目が覚めると、そこには自分の居場所なんてないような。彼が目覚めたら、全部が夢であったと言われてしまうような。
もしそうであっても、それは仕方がないとは思う。彼は自分の恋人だが、彼は神様なのだから。今のような状況など全て奇蹟のようなものであり、一瞬で消え去っても不思議はないのだろう。消える時などというのは、いつだって突然なのだから。
いつも抱き締めてくれる腕の中で目を覚ますのに、その朝は違った。デイビットがぱちりと目を開くと、テスカトリポカの青い瞳がじっとデイビットを見つめている。
「グッドモーニング、デイビット」
デイビットが目を開けたのを確認して、彼の唇の端が上がる。どうして、と瞬間的にデイビットは思った。彼はいつも自分よりも遅くに起きる。それはテスカトリポカが早起きをしない、好んでいない、自分だけの習慣だからなのだと思っていた。
寝過ごしてしまったのだろうかとデイビットは考えた。寝過ごして何か問題がある訳ではないが、もしそうなら、事実としてそれは確認をしておきたい、と寝惚けた眼で思う。
「……テスカ、今、何時……」
「いつもオマエが起きる時間のとおりだろう。いい目覚めだな、デイビット」
テスカトリポカは上機嫌で、くつくつと笑い、まだ枕に頭をくっつけているデイビットの唇にキスをした。一瞬惚けて、それからデイビットはまだ近くにあったテスカトリポカの頭を掴んで、キスを返した。
「ちゃんと目は覚めたか?」
「……ああ。おはよう」
「さて出掛けるぞ、デイビット。オマエは朝は海に行くんだったな。散歩というヤツか?」
「え? あぁ、うん……?」
起き上がったデイビットが人差し指で目を擦ろうとすると、いきなりテスカトリポカの腕が伸びてきて、デイビットの身体を抱え上げた。
「――ッ、テス、」
「離すなよ、デイビット」
ギョッとしたまま、デイビットの身体は海岸に運ばれていた。服も、寝る時に着ていた服とは違う、いつもの礼装のシャツに切り替わっている。
(何でもアリなんだな、全能神は……)
今更、至極今更のことをデイビットはまた思う。ここ、ミクトランパでのテスカトリポカは絶対だ。それを忘れることはないが、時折噛み締めるように思う。全能の、テスカトリポカという神のことを。
「急に飛ばさないでくれと言ってるんだが」
「海岸に沿って歩くんだったな、デイビット」
「テスカ、もういいから、降ろしてくれ」
まさか神様は散歩ということの意味を知らないのか、とデイビットは思ったが、やたらめったら現代文明に親しんでいるこの神が、その程度のことを知らない筈もないと思い直す。テスカトリポカは、何でもちゃんと知っている筈だ。
テスカトリポカはデイビットの顔を覗き込むと、口角を上げた。いつ見ても端整な顔にデイビットは驚かされる。青い瞳が蛇のように鋭く光を放っていた。
「オマエが朝勝手に消えるのはオマエの勝手だし、オレがこうして先に起きてオマエを連れて行くのもオレの勝手だということだ」
「……そうだな。それで、わざわざ早起きをしたのか?」
「そういうことだ。オマエと朝日を見る為にな」
そしてそのままテスカトリポカは歩き出した。その顔が楽しんでいるようだったので、デイビットは諦めた。
「イイ眺めだろう、デイビット」
立ち止まると、テスカトリポカは海の方にデイビットの身体を向けてくれた。朝の海から太陽が昇っていく。デイビットはテスカトリポカの首に捕まって、頷いた。彼の言うとおり、朝日は綺麗だ。何度見ても、この海から見る太陽は美しい。
この光景を、自分だけが独り占めにしているかのようだ。この腕の温もりと共に。
「……テスカ、聞いても?」
「何だ?」
「こういうのは、誰にでもしてる訳じゃないんだよな」
「何だ、その質問は。オマエの言っていることの意味が、イマイチ、オレには分からん」
「いや、別にいいんだ。聞いてみただけで」
「待て、デイビット、話を1人で終わらせようとするな。こういうのってのは何だ。お姫様抱っこがか?」
「――まぁ、そういう類のことを」
「話が見えてこないな。必要であれば、オレは何だって誰だって横にでも肩にでも担ぐが……オマエが言いたいことは違うな? なら、共に朝日を見るということか?」
青い瞳がじっとデイビットを見た。
「ソレも違うな。デイビット、オマエが言いたいことがそういうことであれば、これが答えになるだろうが――この家はオマエの為だけの物で、この街はオマエの為だけの物で、この朝日はオマエの為だけの物だ。そして、オマエ以外の誰の為にも、オレはこんなことをしてやった試しはない」
「Really?」
「You don’t know? 青も言っていただろうが、『男に入れ込んで街まで造ってやってるのかよ、黒は。ウケんな。初めて見たぞ、こんなんになってるミクトランパは』と」
「言ってたな、何か」
先日、青のテスカトリポカ(ミクトランで恐竜王であった少年のような姿の)がやってきて、少し滞在して帰った。
その時には確かにテスカトリポカが言ったようなコメントを残していたが、デイビットはそれらは大体話半分くらいの気持ちで聞いていた。青と黒とは、同じテスカトリポカではあるが、軽口を言い合う兄弟に似た関係であると認識していたからだ。即ち、ミクトランパがこんな風というのは規模の問題であって、別に何もかもが自分に由来するものではないだろう――と。
ぱちりとデイビットは瞬きをする。この神は嘘を吐かないのだ、と思った。
「……何となく、オマエの反応はいつもやけに鈍いなとは思っていたが、オマエがそういうモノだからなのだろうとオレは勘違いをしていたらしいな。全く、これだけ特別扱いしてやっているというのに。オマエだけだぞ、デイビット」
「テスカ――」
「ちゃんと憶えておけ、デイビット。アレはオマエだけの太陽だということをな。目に焼き付けろよ」
「tide, full moon」のアフターエピソード的なイチイチャおまけ。
読んでると多分わかるとは思うんですけど、英文の上の訳は割とフィーリングで書いてます。あと趣味で英文にしてる。意味なし英文。
趣味と言えばお姫様抱っこも当然趣味ですが。
趣味って言えば(まだあるの?)ルビ、じゃんじゃん使うぞ~! って嬉々として使ってるけど大量に変換するのがめちゃくちゃめんどい。
内容に関するコメントが特にないな……。
デイビットくんは恋人になったら長い名前ぼちぼち省略して呼んでるんだろうなって思ってます。可愛いな~